金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

葬送アイテムのダウンサイジング

2020年12月30日 | ライフプランニングファイル
 昨日新幹線の中で読んだWedgeの「時流仏流」が東京ビッグサイトで実施された「エンディング産業展」の話を取り上げ、最近葬儀アイテムがダウンサイジングしていると述べていた。
 また葬送業界もエコロジーを意識していて霊柩車もエコになっていると報じていた。実は昨日私は霊柩車に乗ったのだが、その時運転する葬儀社の人から聞いたところ「神輿が乗った霊柩車は現在京都で2台しかありません。この車はアメ車をリムジン型に改造したものですが、最近は国産のハイブリッド車が増えています」ということだった。
 また少子化が進み、一人のお子さんが4人(自分と配偶者の両親)を見送る場合も増えていて、一回の葬儀に100万円かかるとすれば400万円払うことになる、と葬儀社の人の話。
 で実際どの位葬儀費用がかかるか?というと昨日行った母の葬儀費用が70万円程度(お布施は含まず)。棺桶の材質や祭壇をもう少しダウングレードする余地はあったが、まあ家族葬でもこの程度のお金がかかるということだ。
私は葬儀屋さんに「で葬儀費用って遺族が負担するの?それとも亡くなる人が負担するの?」と聞いたところ、昔は遺族の負担が一般的だったが今は互助会方式で本人が積み立てる場合が多いとか。ただしこれは互助会を運営している葬儀会社の人の話なので注意して聞く必要がある。
 自分の経験を踏まえて考えるとコロナは葬儀のダウンサイジングを加速する。元々諸外国に較べて日本の葬儀費用はバカ高い。墓も立派だし、個性的だ。これに較べるとキリスト教の墓は概ね質素で没個性的(もちろん有名な音楽家の墓など立派な墓もあるが)だ。イスラム教の墓はもっと質素で、ヒンドゥ教になると墓はない(火葬して遺骨はガンジス川に流すので)。
 ★  ★  ★
 私は葬礼が宗教を作ったと考えている。その地域地域に適した方法で人は死者を葬ってきた。木のない乾燥した中東では火葬を、湿潤で土葬にすると非衛生なインドでは火葬と川への散骨を、木も水も乏しいチベット高原では鳥葬を、人は選択したのである、おそらく。そしてその後葬礼に意味を与える形で色々な宗教の教義が作られていったのだ。
 
流行りつつあるダウンサイジングを支える教義はあるのだろうか?と考える時、私はヒンドゥ教が良いことに気が付いた。ヒンドゥ教によれば、人間を含む総ての生き物は輪廻転生を繰り返す。肉体は魂の乗り物に過ぎず、いわば蛇の抜け殻のようなものなので、荼毘に付された遺体はガンジス川に流されて終わりである。インドでは荼毘に薪を使うがその煙が公害につながるということで最近は電気の火葬炉を使う動きが始まっているとか。

葬送のダウンサイジングには大賛成だ。だが経済的な理由だけに後押しされたダウンサイジングには危うさと虚しさを感じる。それは葬送のダウンサイジングとともに生きる意味のダウンサイジングにつながる危険性があるからだ。
 ちゃんとした世界的宗教は実はそれ程葬礼に熱心ではないと私は思う。世界的宗教が熱心なのはこの世でどう正しく生きるか?ということについてである。正しい生き方には幅があるが、概ね貪欲や争いを避け、喜捨に努め、敬虔で規則正しい生活をすることがボトムラインだ。

 幾ら豪華な葬式をしても、多くの坊さんを呼んで読経をして貰っても、立派な戒名をつけても、正しい生き方をしない限り良い来世はないという基本に立ち返ることが葬送のダウンサイジングで最も必要なことだと私は思う。そうすれば一日限りで破棄される祭壇にお金をかけるより、そのお金を貧しい国の子供たちの支援に回す方がはるかに功徳があることが明らかになるのだが。
  



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母の死が呼び起こす一族の絆

2020年12月30日 | うんちく・小ネタ
 昨日母の葬儀が終わった。99年も生きると知人・友人はほぼ先に旅立っているので家族葬である。しかもコロナの影響で遠距離からの列席は控えたので小さな見送りとなった。
 そんな中アメリカに住んでいる従兄弟からお悔やみのメールが来た。アメリカに住んでいる娘に母の死を伝えて欲しいと連絡していたからだ。
 この従兄弟は小学生の頃父親について渡米して以来アメリカで暮らしているので日本語はほとんど分からない。英語でメールを書くのは億劫だし、書くほどの用事もないのでご無沙汰が続いているが丁寧なお悔やみだった。
 メールの趣旨は次のようなものだった。「伯母さんの死をニュースを聞いて大変悲しい。私たちが古いお寺(私の実家)で遊んでいる時伯母さんがしばしば僕たちの上で笑っていたことを忘れないだろう。伯母さんは僕の日本における子供時代の最良の思い出の一部である」
 私はお礼の返事の最後に「億劫相別而須臾不離」という大燈国師の言葉を添えた。言葉の意味は、非常に長い間離れていても真理を体得した人(大燈国師と国師を師と仰いだ花園上皇)の間では心はいつも寄り添っているという意味だ。
 遠く離れて暮らす従兄弟と心が寄り添っているというのは言い過ぎだが、母の死が従兄弟に遠い昔の日本の思い出を呼び起こし、それが反響して私はまた日本に帰国する度にハイカラなアメリカの土産を持ってきてくれた叔父のことを思い出していた。
 私はサラリーマン時代に数年間ニューヨークで仕事をしたことがあるが、さしたる違和感や抵抗感もなく彼の地で過ごすことができた。これは叔父一家が長く彼の地で暮らしてきたという一種の親近感の賜物だったと思う。
 縁(えにし)は深いものである。
 
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