来年4月から「改正高年齢者雇用安定法」が施行されます。この法改正の目玉の一つが「70歳までの就業機会確保」です。概ね9割程度の企業では法改正を認識しており、何らかの対応検討を開始したところもあるようです。一方分かっているけれど、目先のコロナ対応でそれどころではないという会社もあるかもしれません。
ところで70歳のことを「致仕」ということがあります。70歳の呼び方としては「古希」が一般的です。これは昔は70歳を超えて長生きする人が「希(まれ)」だったので、古来希なりという言葉から70歳を古希というようになったのですね。
もっとも平均寿命が80歳を大きく上回ってきた現在では70歳はごく普通の年齢になった思います。
「致仕」というのは「仕を致す」で、致すの中に仕事を止めるという意味があるそうなので、仕事を止めるという意味です。古代の中国では高級官吏の定年年齢が70歳だったので、70歳で定年退職することを「致仕」と呼びました。ちなみに定年前に仕事を辞めることを「辞官」と呼んだそうです。
「致」という字には色々な意味があります。たとえば「極める」「行きつく」という意味もあります。合致とか致死という熟語では、この意味ですね。
拡大解釈して「致仕」を仕事を極め、行くところまで行ったので止める、という意味で使われたのではないか?と私は解釈しているのですが、専門家の意見を聞いた訳ではありませんので、これは推測に過ぎません。
それにしても昔の人(江戸時代の老中なども健康で働く意欲があり、将軍の覚えよろしければ70歳まで在職したと聞きます)も、元気な人は元気だったのですね。全般的に健康状態が良くなっている現在、身体的に70歳まで問題なく働くことができる人は多いと思います。
一方問題なのが仕事のスキルです。昔は長く経験を積むと人間データベースになり(つまり生き字引)それだけで重宝されたのですが、現在のようにgoogleを検索すれば、色々なデータが瞬時に取り出せる時代になると経験量の豊富さはそれ程重要視されません。場合によっては古い情報はむしろ改革の足かせになるかもしれません。
現在では70歳まで仕事を続けるには、絶えずスキルアップを続ける必要があります。法律や会社の制度を弄(いじく)るよりも、働く人のスキルアップを促進するインセンティブが必要なのでしょうね。これを古語でいうと「格知日新」ということになります。格知とは格物致知の略で「物の原理を追い求めて真理に至る」という意味だそうです。70歳を知を極めるという意味で「致知」と呼んでみたいのですが、これは我田引水の強弁であまり賛同は得られないと思います。もっとも孔子は「70歳になったら心のおもむくままに振舞っても人の道を踏み外すことがなくなった」と言っていますから、修練を積んだ人間には70歳は「致知」と言えるかもしれませんね。