ヤフオクでの美術品購入も調査研究費として政治資金に計上していたという疑惑が高まっている舛添東京都知事。完全に政治資金規正法違反になるかどうかという点については、微妙なところがあるようだ。規制法では本人が資金使途を政治資金と認めれば政治資金になるという面があるからだ。
しかし法的には完全にアウトにはならなくても、舛添知事の説明に納得しない人は多い。金にせこ過ぎると言わざるを得ないからだ。
少し前に山形に旅行し立石寺に参詣した時の思いを踏まえて、芭蕉が鈴木清風を「富めるものなれど志いやしからず」と述べた背景を考察したブログを書いた。その中で一般的には「富めるものは蓄財する過程で志の丈が低くなるので、芭蕉は富めるものは通常は志がいやしいと考えていた」と述べた。
今舛添知事の政治資金問題を見ると改めて「人は蓄財する過程で貪欲になりきれいに生きるということを忘れるのだな」という思いをあらたにした。
米国の大統領選挙の予備選を見ているとエスタブリッシュメント(既存勢力・支配階級)に反感を持つ有権者の票が批判勢力に流れる勢いの強さに目を見張る。もっとも共和党のトランプ氏などは政治的にはエスタブリッシュメントではないが、別の意味ではエスタブリッシュメントなので、単純な一次方程式で有権者の心理を色分けすることはできないが・・・
政治家にしろ民間人にしろ自分の理想を実現するために権力の座を目指す過程では権謀実数を使い、時には法律すれすれの金をひねり出す必要があることは事実だ。きれいごとだけで権力の座や富を得られるものでないことは間違いない。事実前出の鈴木清風も紅花商人としてかなり外連の技を使って巨万の富を得た。ただし江戸の商人相手に相場で儲けた大金は吉原できれいさっぱり使ってしまったとので江戸の人は拍手喝さいしたそうだ。
貧富の格差拡大に批判が高まる米国だがなおある種の富裕層支持が強いのも一面の事実。それは「富を富裕層に集中して富裕層が大金を慈善活動に使う方が小口の寄付を集めるより効率的だ」という考え方があるからだ。事実マイクロソフトの創業者ビル・ゲーツ夫妻や著名な投資家ウォーレン・バフェット氏は多額の資金を慈善活動に捧げている。
彼等もまた「富めるものなれど志いやしからぬ」人々である。
それにしても「金にセコイ」という評判は古今東西を通じて、リーダーとしてもっとも忌むべき評判ではないだろうか?
シーザーは回りの人が不安になるほど多額の借金をしてローマ市民に大盤振る舞いをし(ガリア総督時代に徴税で回収したのだろうが)、足利尊氏は室町幕府の基盤が弱くなるほど部下の武将に恩賞を与えたという。彼等は気前が良すぎた様だが、金にセコクて大成したリーダーはいないだろう。
舛添知事が法的にアウトになるかどうかは分らない。しかしリーダーとしてアウトの判定を下されたことは間違いない。