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【知の巨人 荻生徂徠伝】読後感 江戸時代を見る目が変わる

2016年05月03日 | 本と雑誌

先日大宮から山形に向かう新幹線に乗る時構内の本屋で見かけて「知の巨人」(角川文庫680円)を買って列車に乗った。

固そうな本だが2時間の一人旅には固い本が良いと思ったのだ。吸い込まれるように読んだが、儒教の本の名前などが難しくサクサクとは進まなかった。

結局読み終えたのは昨夜のことである(帰りの旅は仲間と酒を飲んでいた)。

荻生徂徠、学生時代の日本史で官学だった朱子学に異を唱え「古文辞学」を確立した、と学んだ程度の知識しか持っていなかったが読んでみると中々面白い。

柳沢吉保に厚遇された荻生徂徠は吉保の死後、やがて八代将軍吉宗の知遇を得るようになり、いわば将軍のアドバイザーになる。著者の佐藤雅美氏は「吉宗は(徂徠の)社会観察・分析・時評は鋭く、教えられることが少なからずあった」と述べている。

宇野重規氏(政治学者)は解説の中で「それにしても江戸時代とは面白い時代である。士農工商の厳しい身分制社会であったはずなのに、素浪人の子どもが学問の力だけで将軍のアドバイザーになる。自分の知や学問を求めて、武士や商人が師を探し、旅を続ける。江戸時代の社会は思いがけず、ダイナミックな社会であったかもしれない」と述べている。

将軍のアドバイザーといえば、徂徠がライバル視した新井白石も徳川家宣・家継時代の将軍アドバイザーだった。

佐藤雅美氏は「江戸時代には学問は儒学しかなかったので俊秀はこぞって儒学に向かい、知と知を競い合った。競い合うことで日本人は脳に磨きをかけた。脳は知を競い合わねば劣化する。」と述べている。

明治に入って西洋の科学技術や社会制度を素早く受け入れることができたのは、江戸時代(特に中期以降)日本人が知を競って脳に磨きをかけてきたお蔭である。

徂徠の学問の基本は原典(漢文)を読み下し文ではなく頭からそのまま読み(従頭直下)深く原義を理解することであった。

人は言葉で概念を表現すると考えているがそれは思い上がりかもしれないと私は思う時がある。言葉が概念を縛り、思想を枠にはめてしまうからだ。それは翻訳された言葉の場合、特に顕著だろう。たとえば自由という言葉の持つ意味とニュアンスは英語のfreedomと完全に同義かどうか疑問だ。いや恐らくかなりズレがあるだろう。そのズレを認識しないまま議論を進め平行線をたどることは多い。

原典(原点)に返って言葉の意味を考えるという意味で徂徠に学ぶ意味は今なお大きいというべきだろう。

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