大菩薩峠から帰った日に沢木 耕太郎の「凍」を花小金井の本屋で買った。「凍」は世界的なクライマー山野井 泰史・妙子夫妻がヒマラヤのギャチュンカン北壁に挑み、泰史の登頂後二人は凍傷で手足の指を失いながらも無事生還するという劇的な登攀記録である。
ギャチュンカン登頂の話については私は山野井泰史の「垂直の記録」で読んでいたが、妙な因縁からこの日「凍」を買い一気に読んでしまうことになった。
妙な因縁というのは奥多摩の駅で列車を待っていた時、ふと山野井泰史のことを思い出したことだ。山野井夫妻は・・・奥多摩に住んでいる。「凍」によると「(二人が住んでいる)古屋は奥多摩の駅から奥多摩湖に向かう道路を、渓流に沿って下っていく細いわき道にあった。」
山野井泰史は今年の9月奥多摩湖畔をランニング中熊に襲われて大怪我をしている。もう元気になったろうか・・・・などと私は冷たい雨が降る奥多摩駅で思いを巡らしていた。
それが伏線になり花小金井の本屋で雨の午後読む本を探していた時、「凍」に眼が留まったという訳だ。
ギャチュンカン北壁の下山を読むとこちらの手足に痺れを覚える程の臨場感がある。山野井夫妻の行動も驚嘆するべきだが、沢木の筆も素晴らしい。だが沢木の筆はそこにとどまることなく、山野井夫妻の登攀意欲をささえるモチベーションに及んでいる。
「山野井にとって、八千メートルという高さはヒマラヤ登山に必須のものではなかった。八千メートル以下でも、素晴らしい壁があり、そこに美しいラインを描いて登れるなら、その方がはるかにいいという思いがあった」(「凍」)
山野井泰史は別のところでお金にならず、名声にも結びつかない自分のクライミングを「真剣な遊び」と呼んでいる。
「凍」が深い感動を呼ぶのは、山野井夫妻の超人的な行動や生命力だけではなく、凍傷による指の切断というハンディを負いながらもなお自分の山登りを追い続ける求道者の姿を見るからである。