安倍首相の靖国神社訪問とそれに対する米中韓政府の反応等に色々な意見がでている。それに関する管見は別途述べるとして、「靖国神社にはどういう人が祀られ、どういう人が祀られていないのか?」ということを考えてみた。
靖国神社の前身は、明治2年に出来た東京招魂社で長州出身の初代兵部大輔大村益次郎が建立を推進した。そこに祭られたのは、維新政府を作るために命を落とした志士や戊辰戦争で命を落とした官軍側将兵だった。
靖国神社のホームページを見ると「靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、『祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊』であるという一点において共通している」とある。
だが事実はそれほどクリアカットではない。たとえば開国を推進した大老井伊直弼を桜田門外にて暗殺した関鉄之助など水戸浪士も靖国神社に祀られている。水戸浪士が祖国を守るという意識は持っていたとしても、暗殺という行為は公務ではなく、テロリズムである。
戦前の「薩長史観」の下では、安政の大獄を断行した井伊直弼は「悪役」であった。明治の中頃井伊直弼の復権を目指す元彦根藩士たちは横浜に井伊の銅像建設を計画した。しかし長州出身の政治家たちが猛烈に邪魔をした。紆余曲折を経て井伊の銅像は明治42年に完成するが、井伊直弼の評価が大きく変わるのは「花の生涯」(舟橋聖一原作 NHKの大河ドラマ第一作)を待たねばならなかった。
功績について評価の分かれる井伊直弼だが、大老として「公務」を遂行し、かつその公務が妥当なものだったとすれば、靖国神社に祀られるのは水戸浪士ではなく井伊直弼だったという見方もできると私は思う。
もう一例をあげると、禁門の変の後、正義派・俗論派の争いが激化した長州で、高杉晋作の後に奇兵隊総督となった赤根武人という人物がいた。赤根は俗論派打倒を主張する高杉と衝突し、慶応2年に「幕府に内通した」理由で処刑された。だがこれは冤罪だったのではないか?という疑惑が残る事件だった。明治の終わり頃、赤根の遺族から国に対して贈位の申請がなされたが、山形有朋から強烈な横槍が入り流れたという。一坂太郎氏は「司馬遼太郎の描かなかった幕末」の中で「赤根を復権を認めると山形の座っている権力の座がおかしなことになってしまう」からだと説明している。
明治維新に活躍した元勲でもその後反政府軍の回った西郷隆盛は靖国神社に祀られていない。
結果からいえば、幕末・明治維新にかけて「祖国のために」に死んだ志士のうち、靖国神社に祀られたのは政治抗争を勝ち抜いた山形有朋を頂点とする長州閥にとって都合が良いと判断された人物が多かったということになる。そしてその射程は現在まで伸びているような気すらしてくる。
安倍首相の靖国神社参拝を米国の大統領によるアーリントン墓地参拝と同列に論じる人がいるがいくつかの点で問題があると私は考えている。
アーリントンは「無宗教」の「国家施設」だが、靖国神社は「神社」で「民間施設」であるという違い。アーリントン墓地は内戦で戦った相手方つまり南軍兵士も埋葬しているが、靖国神社は「官軍側」しか祀っていない。
だがもう一つ見落としてはならない違いは「精神的な支柱性」だろう。日本の兵士には「戦死したら靖国神社で祀ってもらう」ということが支柱になったが、米軍では戦闘地域に派遣される兵士で「アーリントンであおうよ」といって出征する人はいないそうだ(ある米人研究者の言葉)。
昨年秋にヘーゲル・ケリー両長官が千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花を行ったのは、戦没者を慰霊するならこの施設がある、というアメリカのメッセージだった。