思ったよりもショックが大きく、ほとんど一日、ディッシュのことを考えていました。
彼ほどに才能のある人がこのような最期を迎えなければならないという現実がいちばんの痛手。
もちろん、優れたものが常に正しく評価されるわけではないことは承知しています。しかし、それにしても……。
文学的才能という点では現代SF作家中屈指でしょう。野心に満ちた実験作からサービス精神に富んだ娯楽作まで、どんな作品でも自在にものにしました。書こうと思えば、どのような作品でも書ける才能を持っていたはずです。『いさましいちびのトースター』と『キャンプ・コンセントレーション』や『334』との落差を知る人は、「いったいどういう作家だろう!」と驚嘆せずにはいられないでしょう。
日本にはニュー・ウェーヴSFの旗手の1人として紹介されました。〈SFマガジン〉1969年10月号の「新しい波」特集に伊藤典夫さんが訳した短編「リスの檻」は、パメラ・ゾリーンの「宇宙の熱死」とともに、ニュー・ウェーヴSFが具体的にはどのような作品を生み出すかを手っ取り早く教えてくれたものです。
その後、サンリオSF文庫から出された上記の『キャンプ・コンセントレーション』、『334』それに『歌の翼に』。そして『いさましいちびのトースター』及び『いさましいちびのトースター火星へ行く』(ともにハヤカワSF文庫)。後期のいたずらっ気たっぷりのプラックユーモア・ファンタジー『ビジネスマン』(創元推理文庫)と『M・D』(文春文庫)。最近、出た短編集『アジアの岸辺』(国書刊行会)……。
どれも何度も読み返したい、私にとっては最高の「お手本」なのです。似たものを書きたいというわけではありません。このような自在な小説の書き方があることを教えてくれることで、自分なりの野心を盛り込んだ作品を構想し、実現せねばならないということを思い知るための「お手本」なのです。(済みません。初期の『人類皆殺し』や『虚像のエコー』は、それほどには思えません)
小説を読んでも、評論を読んでも、一筋縄ではいかない作家だと思い知らされます。韜晦した語り口ゆえに、彼の真意や情熱を見失ってしまう読者は多いかもしれません。でも、もしかしたら、私にとってナンバー1のSF作家だったかもしれないとさえ思います。
それだけに、このような訃報はつらい。
いずれまたディッシュの作品を読んで、夢のような体験をしたいと思います。そして、『ビジネスマン』の末尾にある、美しいくだりを思い出しましょう。
- 肉体という洞穴から解放された魂は、ときおり、ぐっすり眠っている人間の心に向かってまっしぐらにやってくる。そしてその表面で浜に寄せる波のように渦巻き、泡だち、そのもっとも柔らかな部分に触れて、穴のなかに潜むハマグリがあぶくを吹くように、心の奥底からさまざまな夢をわきあがらせるのだ。そして目をさましたわれわれは、なにか美しいものが触れていったことはわかるが、それがだれの美しさなのか、決して知ることはない。(細美遙子訳)