昨日の記事に書いたように、日本SF大賞は今回限りで徳間書店からの後援を受けられないことになりました。
徳間書店の岩淵徹社長はその理由を述べられませんでしたが、いわゆる「経営上の判断」ということでしょう。せっかくのSF大賞と、2009年まで11回、徳間書店の後援で続いた「日本SF新人賞」が、同書店のビジネス戦略に寄与しないと判断されたかと思うと残念でなりません。
作品の選定作業自体はずっとSF作家クラブがやってきたので、引きつづきSF大賞を決めることはできます。とはいえ大きな節目であることに変わりはなく、賞の存続を含め、根本的な見直しを早急に検討することとなりました。
徳間書店の岩淵徹社長はその理由を述べられませんでしたが、いわゆる「経営上の判断」ということでしょう。せっかくのSF大賞と、2009年まで11回、徳間書店の後援で続いた「日本SF新人賞」が、同書店のビジネス戦略に寄与しないと判断されたかと思うと残念でなりません。
写真は「徳間文芸賞」贈賞式の壇上で後援から外れることを発表する岩淵社長(左)と、それを聞く東野司SF作家クラブ会長(右)。
この後、東野会長は「長い間、ありがとうございました」と謝辞を述べ、岩淵会長と握手を交わしました。
来年からは背後の吊り看板から「日本SF大賞」が消えます。正直、寂しいですね。
少しSF大賞の歴史を振り返ってみましょう。
賞の制定は1980年夏。「SF作家クラブ事務局」の名で出された制定告知には次のようにあります(〈SFアドベンチャー〉1980年10月号)――
- (前略)日本における、職業的SF作家、翻訳家などの同志的集団である日本SF作家クラブは、SFを専業とするものの責任において、各年度における最もすぐれた業績をえらび出し、これを「日本SF大賞」の形で表彰する事にいたしました。(中略)
- 本大賞受賞者には、日本SF作家クラブ発行の正賞と、徳間書店より副賞百万円が、授与されます。
徳間書店側からの記述も引用しておきましょう。『徳間書店の35年 1954-1989』(1989年)には次のようにあります――
- 五四年三月「SFアドベンチャー」を創刊した。当初は季刊だったが、やがて月刊とした。
- 日本SF作家クラブがこれに目をつけ「日本SF大賞」を制定するに当たって、本社にその後援を要請してきた。毎年十月から九月までを一年度とし、最優秀作を大賞として、同クラブからトロフィーを、本社から副賞百万円を贈る、そしてその発表は「SFアドベンチャー」誌上で行うというものである。
- 小松左京同クラブ会長と徳間社長の間で覚え書がかわされた。
- 日本SF作家クラブがこれに目をつけ「日本SF大賞」を制定するに当たって、本社にその後援を要請してきた。毎年十月から九月までを一年度とし、最優秀作を大賞として、同クラブからトロフィーを、本社から副賞百万円を贈る、そしてその発表は「SFアドベンチャー」誌上で行うというものである。
もう少しくだけた言いかたをすると、かねてからSF作品を顕彰する賞の制定を願っていた小松さんらが、徳間書店の創業者社長である徳間康快さんに、次のようにもちかけたのです。
「賞の運営はSF作家クラブでやるから、徳間さんには賞金とパーティーをお願いできませんか」
これを太っ腹の徳間さんが快く引き受けてくれたという次第。大賞が2作同時受賞の際、最初、賞金折半でしたが、それも徳間さんの「何をケチ臭いことを」の一言でそれぞれ百万円に。なお、特別賞はトロフィーと賞状のみで賞金はありません。
前記の〈SFアドベンチャー〉誌の「最後のページ」には編集部S氏の次のような記述も――
- (前略)昨年秋にこの提案がなされてから、幾度となく下打ち合せが繰り返された。星、小松、筒井、矢野、半村、光瀬氏といったSF界のリーダーの意見の調整も行われてきた。話し合いの場に同席すると、SF界の歴史の重みがひしひしと感じられた。
作品の選定作業自体はずっとSF作家クラブがやってきたので、引きつづきSF大賞を決めることはできます。とはいえ大きな節目であることに変わりはなく、賞の存続を含め、根本的な見直しを早急に検討することとなりました。