惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

「ボッコちゃん」の謎

2005-09-19 20:43:02 | 本と雑誌
 今年2月に出た斎藤たま『落し紙以前』(論創社)を読んでいて、「あれまあ」と思いました。星新一さんの初期の代表作「ボッコちゃん」に関連すること。

 星さんの「ボッコちゃん」は美人のロボットである。バーのカウンターに座っていて、お客と他愛のない会話をし、お酒を飲む。この会話が初歩的な人工知能の会話プログラムとそっくりで、まだそんなものが出現しそうにもない頃に書かれた作品だけに「さすがは星さん」と感心します。

 で、問題はこのロボットの名前なのですが、なぜ「ボッコちゃん」でしょう?

 いや、今までは別に問題だとも何とも思っていませんでした。語感がいいし、宮沢賢治の「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」などから、可愛い印象があります。ぴったりのネーミングだと思っていたのです。
 ところが『落し紙以前』の最後の方に、次のようにありました――

 ウンコ系ばかりでなく、別の種類の名前もある。岩手の大船渡市赤崎でのボッコ、同長崎でのボンコ、これは「棒コ」ででもあろうか。柔らかめのものなら地面で渦にも巻く。しかし、よっぽど「うーん」も必要なぐらいのは、棒のように真直ぐ横たわるのである。

 「ボッコ」に「ちゃん」をつけて「ボッコちゃん」。まさか星さんが意識的に「ウンコちゃん」と名づけたとは思えませんが……。

 ついでに、「童子」をなぜ「ぼっこ」と呼ぶのかも気になります。
 これは同書で著者の斎藤たまさんが紹介していることですが、琉球圏では子どもが生まれた時、「糞(くす)生(ま)ーれた」というそうです。例の邪視信仰によるもので、美しいもの、可愛いものを素直にそう呼ぶと、悪い神さまがねたんで取り上げてしまう。そのことを怖れたのです。「ボッコ」もこれと同列なのでしょうか。

 いや、むしろ「ボッコ」は「坊や」「坊ちゃん」の方に近いような気もします。「坊や」や「坊ちゃん」は「坊主」に同じで、「坊主」は「坊(僧侶の住居)」の「主」、つまり僧侶のことです。でも、なぜ子どもが坊主なのでしょう?

 ああ、わけがわからなくなった。単純な音の連なりなので、あれやこれやが混線している可能性もありそうですね。
 汚い話題ですみませんでした。でも、斎藤さんのこの本は愛すべき一冊なんですよ。


二宮町図書館

2005-09-18 20:53:34 | アート・文化
 神奈川県二宮町図書館での講演「『宇宙塵』の軌跡~日本SFと柴野拓美氏~」を聴講。

 例によってバイクで出かけました。我が家からは多摩川に出て多摩水道橋を渡り、生田緑地の脇の山越え道(浄水場通り)を通って東名川崎インターへ。東名を秦野中井インターで降りて、県道71号線を南へ。
 東名の厚木インターから小田原厚木道路に入った方が一般道の部分が少なくなりますが、それはそれでつまらないと思い、県道を通ることにしました。下りの高速道路は連休とあってかなり渋滞していましたが、目的地まで1時間20分ほどで到着。行程約63キロ。一気に走るにはちょうどの距離です。

 二宮町図書館は5年前に出来た新しい建物の中にあり、明るくてきれい。立地も良く、たくさんの人が来館していました。館長さんのお話によれば一日の平均利用者数1,200、貸し出し冊数1,300だとか。立派な数字です。

 展示ギャラリーの展示「小隅黎(柴野拓美)氏と『宇宙塵』~日本SFの軌跡~」では、柴野さんが寄贈なさった〈宇宙塵〉や同誌出身作家の本、昔の写真、柴野さん所蔵の各種SF大会でのトロフィーや記念品などを見ることができました。
 若い頃のSF作家やSFファンたちの写真が楽しい。SF研の先輩・佐藤さんと眺めていて、牧村光夫さんや森田裕さんが映っているのを発見したのは「第1回日本SF大会」の写真でしたっけ……。

2MIYA0509  2時からの講演会の講師は牧眞司さん。
 中学時代に柴野さんと知り合い、30以上も年齢が違うけれどSFでは「友人同士」になれたと前置きしてから、(1)日本SFの歴史、(2)〈宇宙塵〉の作家、(3)柴野拓美という人――について、軽妙に、しかし勘所を押さえて喋っておられました。
 もっとも、(1)と(2)にほとんどの時間を費やしてしまったので、(3)は5分ほど。それでも全体から、SFの楽しさ、SFを通じた交流の楽しさ、〈宇宙塵〉と、それを主宰した柴野さんの功績の大きさがよく伝わる内容でした。


『9.11 生死を分けた102分』

2005-09-17 20:30:21 | 本と雑誌
 ジム・ドワイヤー&ケヴィン・フリン『9.11 生死を分けた102分――崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』(三川基好訳、文藝春秋)読了。
 いやあ凄い本だ。アメリカのジャーナリズムのとてつもない底力を痛感します。

 タイトルからわかるとおり、2001年9月11日に起きたマンハッタンのワールドトレードセンターへの旅客機突入、及びその後のツインタワー崩壊を描いたドキュメント。膨大な証言と電話の録音記録などによって事件寸前からビルの崩落直後までの現場(ビルの内部が大部分!)の様子を、逐一といっていいような細かい描写でたどっている。
 圧倒的な迫力は、本を読むというより、映画の大画面で眼前に展開する幾多のドラマを見つめているかのよう。英雄的な活躍もあれば、胸をかきむしられる悲劇もある。大惨事を招いたいくつもの(テロ以外の陰の)原因への言及も怠っていない。
 ハラハラドキドキし、涙を流し、声援を送り、怒りにうち震えました。稀有な読書体験です。

 夕方、「今日は坂道の感触を思い出そう」と、マウンテンバイクで多摩川を渡り、よみうりランドへ。山上の遊園地へ続く坂道を登ってみました。
 昔は何度も上り下りした道路ですが、ずいぶんとご無沙汰。10年ぶりぐらいになるのではないかしら。すっかり忘れていたけれど、かなりの勾配。その上、車の往来が激しい。よろよろと登っていては危険です。ギアをもっとも軽いのにして、ハンドルをしっかり引きつけながら漕ぎ登る。

 せっかく登ったのだから、ありがた山の山道も楽しもうかと妙法寺へのわき道へ入りましたが、「不法投棄多発のため閉鎖します」ということで、山道への入り口は閉ざされていました。昔は多摩サーキット跡の「廃墟」や石塔群などを眺めながらラフロードのアップダウンが楽しめたのに。不心得者に天誅を加えたい。

 最初の予定ではありがた山を走りまわった後、もと来た道を引き返すつもりでしたが、思うにまかせなかったので、そのまま峠を越えて反対側の生田方面へ。急坂を下った後、津久井道を登戸方向へ走り、多摩水道橋を渡って帰宅しました。途中、多摩川土手で夕空を眺めたりしたので、ほぼ1時間半の行程。

 家に着く頃には東の空にやたらにでかい月が昇っていました。そういえば、明日は中秋の名月ですね。


秋植え球根

2005-09-16 20:45:13 | 日記・エッセイ・コラム
 夕方、ホームセンターまで散歩。

 途中の道端にはもうホトトギスが咲いている。我が家の鉢植えのやつはまだつぼみもつけていないのに……。
 ヒガンバナも咲いていました。そういえば、昨日あたりからめっきり秋めいてきて、今朝はとても涼しかった。

 ホームセンターでは秋植え球根をあれこれ見ました。目当てはユリ。庭の隅に一株、ユリがあると嬉しいなと考えて。
 西洋風の栽培種もいろいろありましたが、結局、テッポウユリにしました。よく太った球根を選んで。1個198円は高いのか、安いのか……。

 近々植えるつもりですが、これで来年の初夏が楽しみ。

 神奈川県の二宮町図書館に電話をして明後日(18日)の講演会への参加申し込み。
 同図書館では現在「小隅黎(柴野拓美)氏と『宇宙塵』――日本SFの軌跡」という展示を開催中(19日まで)。明後日の日曜日には午後2時から牧眞司さんの特別講演があるのです。お天気も良さそうだし、締切もちょっと延びたことだし、バイクで出かけてみようと思っています。


無敵

2005-09-15 20:06:50 | 日記・エッセイ・コラム
 夕方5時から自転車トレーニング。涼しいし、風はほとんどない。もってこいのコンディションです。
 前回同様、多摩川サイクリングロードを上流に向かう。やや追い風だったせいもあり、府中の関戸橋までの時間を5分短縮(家から30分)。太ももがピクピクすることもない。そのまま走って、もうひとつ上流の府中四谷橋まで。
 この橋は、以前、私が自転車で走り回っていた頃は工事中だったはず。いつの間にか出来上がっていたんですね(もう7年も前の1998年末のことらしい)。真っ白な吊橋の姿はなかなかに美しい(京浜河川事務所ホームページの写真)。

 橋の上で地図の確認を兼ねて、数分の休憩。余裕があれば百草園駅あたりまで行ってみようと思ったのですが、少々手間取りそうなのでこれは次回の課題として引き返すことに決め、多摩川南岸を関戸橋まで下る。橋を渡ってもとのサイクリングロードを我が街まで。途中からはライトを点灯しました。

 不思議なことに今日は一度も追い越されることがなかったなあ。向かってくるロードレーサーはいるのに、同一方向に走るローディーはいなかったのか。それとも……。
 なんにせよ、気分は上々。自転車的体力が早くも増強したようなつもりになってまいりました。