昨日社長から「今期いっぱいで役員をポストを後輩に譲り関係会社に回ってくれ」という話があった。
時節柄かかることも想像の範囲なので驚く程のことはなかったが、社長の話を聞きながら、僕は若い時に初冬の剣尾根で「ザイルを解いた時」のことを思い出していた・・・・・
初冬の剣尾根というのは垂直の岩、緩いスラブ(一枚岩)につもる不安定な雪で代表されるチャレンジングなルートだ。「初冬に剣尾根を登る」ということは僕の山屋としての大きな目標だったが学生時代に挑戦する機会はなかった。チャンスは会社員になって~今ではやや記憶が曖昧なのだが~恐らく3年目の初冬巡ってきた。僕は山岳部の同級生I君と20kg近い荷物を担ぎ、オーバーハンに鐙をかけ替えながら垂壁で立ちはだかる剣尾根を越えていった。足の下数百メートルに広がる透明な空間に心の高ぶりを覚えたものだ。緩いスラブは薄く積もった、手の施しようのない新雪で僕を手厳しく歓迎してくれた・・・ビバークを伴う長い長い登攀の後、短い冬の日が暮れる前僕らは漸く剣岳主稜線に至りそこでザイルを解いた。そのザイルは2日間の僕らの命綱であり、そして長い間青春の一つの目標と僕を結んでいた心の絆だった。
その時僕の胸の中に「恐らくもうこれ以上厳しい登攀は今後しないだろう。これが僕のクライマー人生のピークなのだ。」という思いが募った。私には既に幼い長女がいて「家族のプライオリティ」が山を押しのけようとしていた・・・・
月日が立ち子供達が独立した今、僕は又山を歩いている。時にはザイルを使って簡単な沢登をすることもある。しかしあの時剣尾根で結んだ「厳しいザイル」を再び結ぶことはなかったし、今後もないだろう。山は僕の中で確実に変貌しそして新たな形で根付いている。
今また組織という人の世の岩壁を攀じるザイルを解き、身を縛る岩登り道具も降ろす時が来たようだ・・・と思った時、軽い寂寥感とある種の安堵の気持ちが僕の心をよぎった。山登りも会社人生も一度はその命を賭けたザイルを解かねばならない時がある。それは例えヒマラヤの絶頂を極めるとも会社の頂点を極めるとも限りある命を持つ人の宿命である・・と考えた時僕はフッと心が軽くなるような気がして社長室を出ていた。