最近エコノミスト誌によれば経済協力開発機構(OECD)は、一国の経済的成功振りを測る尺度として一人当たり国内総生産(GDP)に替わる物差しを提案している。それは「所得の不均衡度合いを調整した家計収入」と「レジャー時間を調整した一人当たりGDP」である。豊かな社会とは何か・ということを考える参考にもなるのでポイントを紹介してコメントを加えたい。なおOECDのレポートも同機構のホームページで読むことができる。
- 一人当たりGDPは大部分の国で国の成功度合いを測る物差しとして使われているが、国の経済的福祉のガイドとしては大きな欠陥がある。エコノミスト達は如何にしてGDP成長率を高めるかという議論に多くの時間をかけてきた。しかし国の福祉というものはGDPに無視された多くの要素、例えば余暇の時間、所得の不均衡や環境の質といったものに依存している。
- GDPは生活水準の金銭的尺度としてもベストのものではない。例えば国民総所得(GNI Gross national product)~これはGDPに海外からのネット所得を加えたもの~の方がより一国の繁栄と関係が深い。もっとも大部分の国はGNIでランク付けをしてもGDPでランク付けをしても大体同じである。
- GDPのもう一つの欠点は資本財の減価償却を含まないことである。GNIから減価償却費を差し引いた国民純所得(NNI)が多分福祉の国民会計を測定するベストの物差しであろう。しかしその数字を入手することは困難で各国の比較や時系列的比較を行うことは難しい。
- 国民純所得でさえ国民の福祉の物差しとしては不十分である。OECDは所得の分配を考慮してGDPの調整を行なうという勇気ある試みを行なっている。OECDの計算はもし国民が強く所得の不平等を嫌うのであれば米国とその他の富裕国とのギャップは大幅に縮小することを示唆している。(エコノミスト誌のグラフをみれば)米国を100として購買力平価ベースでみた一人当たりGDPではフランスは80弱であるが、所得の平等性を考慮すると約110になる。
- 長い休みと短い労働時間も個人の福祉を増大させる。米国は世界で最も豊かな国の一つであるが、その労働者は他国より長い時間勤務している。その結果余暇時間でGDPを調整すると米国と他国のギャップは縮小する。例えばドイツは一人当たりGDPでは米国より26%劣るが、余暇時間で調整すると格差は6%に縮小する。
- OECDはタイムリーに得られるということでGDPが大部分の目的でベストであると結論付けているが、より全体像をつかむためにGDPは他の手法で補完される必要がある。所得の平等性と余暇時間で調整を行なうとある仮定の下で、米国と幾つかの欧州諸国の格差は解消する。このことは欧州諸国が経済改革をやめてよいということを意味するものではない。余暇時間は価値あるものだが将来の年金を支払うものではない。しかしOECDが伝統的なGDPにチャレンジしたことは賞賛されるべきである。その任務は各国政府により意味のある統計を作ることを励ましている。
さて幾つかのコメント。エコノミスト誌の記事には日本のことは言及されていないがグラフを見ると日本の一人当たりGDPはほぼドイツ並み。つまり米国の75%程度である。ところが所得の不平等性を考慮すると格差は拡大して米国の65%程度になってしまう。グラフの中にあるOECD諸国の中で所得の不平等性を加えると米国との格差が拡大する国は日本とイタリアだけである。ただしイタリアの悪化振りはほんの数パーセントで実質日本が圧倒的に所得の分配が不平等な国ということになる。これは一般に伝えられていることや個人的体験からするとやや奇異な感じがするので引き続き研究してみたいところだ。
一方余暇については2003年時点での日本の労働者の平均勤務時間は年間1801時間で米国の1822時間より僅かに短い。このため余暇時間を加味すると日本の対米国格差は僅かながら縮小する。もっとも勤務時間に関して言えば1354時間のオランダは別格としてドイツの1441時間、英国の1703時間に較べて日本は劣後している。
ところで私は勤務時間+通勤時間さらに言えば通勤の質まで考慮にいれないと本当の拘束時間としての勤務時間を測定したことにはならないと思う。(技術的な困難性はちょっと横において)
恐らく日本ほど質の悪い~つまり座ることのできない~長い通勤時間を要する国は先進諸国の中にないだろう。個人的経験でいえば米国での通勤時間も約1時間と長かったのだが、ゆったり列車に座れるので新聞や本を読み時にはコーヒーを飲むことができたのである。この1時間の通勤時間と満員電車の1時間を同等に比較することはできない。
又日本では所得格差の問題が政治的な話題になりつつある。私の基本的な考え方は能力主義の観点からある程度所得格差を是認するものなのだが、ニートと呼ばれる不就業層が大量に存在する社会はやはり異常なのである。今の日本は平均では語れない何かがある。つまり恐ろしく超過労働を行なう層と全く働かない層に二極分解しているのである。一方同一の仕事をしながら雇用形態が違うだけで賃金に大きな較差があることも問題である。
日本の企業業績はここ数年人件費を中心とした経費削減で大きく改善した。しかしこれは日本が少子化政策を取って高度成長を達成した構図と共通するものがある。つまり少子化政策は目先の教育費や福利厚生費を抑制し資本財への傾斜配分を可能にしたことである時期は有効な経済政策ではあったが、少子高齢化という将来に大きな不安を残した。ニートやフリーターの問題も又然りである。
今我々は国民の長期的な福祉とは何であるかということを確認する必要があるだろう。エコノミスト誌は日本について何の示唆も与えていないがOECDレポートから一番勉強しなければならないのは日本なのかもしれない。