最近の日本のマスコを見るとライブドア問題をエンロンと重ねて論じているものがあるが、エコノミスト誌は「ライブドアはエンロンではない」Livedoor is no Enronという記事を書いている。ポイントを簡単に紹介してからコメントを述べよう。
- ライブドアもエンロンも、ボスが短い明確な言葉で彼等の会社が実際に何をしたか語らないというところからスタートして幾つかの共通点がある。両方の会社とも規制緩和の風潮の中で生まれ成長した。エンロンは米国のエネルギー市場が自由化された時にブレークした。ライブドアはITと投資企業の派手な動きだった。加えて株式交換による貪欲な企業買収、理解しがたいオフバランスシートの投資ファンドの助けを借りた収益の水増し等という共通点がある。
- しかしこれらの共通点のリストは誤解を招く。日本と日本に投資する者にとってエンロンとライブドアの違いをじっくり考える方がより有益であろう。
- まず規模の違いだ。米国で最大規模の会社の一つであるエンロンに較べればライブドアはいかなる観点からも小さく見える。そして米国のスキャンダルはエンロンをはるかに越えて拡大している。インターネットの交信量、売上高、収益についてもっともひどい嘘をついたワールドコムがあった。ニューヨーク大学の教授によれば1997年から2000年の間の収益について「再発表」しなければならなかった企業は2000年から2002年の間に25万人から60万人の労働者を解雇しなければならなかった。(この間会計操作をしなかった会社ではほとんど労働者の削減はなかったが。)
- 更に傷ついたのは不正を行なった会社の株主や労働者だけではなかった。人を騙した会社は正直でこつこつ働いている会社にも非合理な投資や価格競争に巻き込むことでダメージを与えたのである。
- これに較べてライブドアの時価はピークでも70億ドルで従業員は1千名強である。恐らくライブドアにエンロンとの平行性を求める人はその影の中に投資家から収奪しようとしている他の「ライブドア」が潜んでいると反論するだろう。これに対してエコノミスト誌は恐らく2,3の他の「ライブドア」はるかもしれないがそれ以上でないと危険承知で言いたい。
- それは過去数年間日本企業は「余剰」を切り捨て債務を減らし、収益性をバブル期ですら見られなかった水準に高め、更には良い企業統治の尺度まで導入したからである。ライブドアはこの反対のことを行なった。それは古いタイプの日本企業なのである。
- ではライブドアは問題ではないのか?否、問題である。何故かと言えばそれは長い経済不振から長期的な回復に向かうには何が必要かということを告げているからである。過去数年間ビジネス上で様々な変革が行なわれてきたが、その中心はビジネスは今や官僚や政治のえこひいきによる恩恵を受けることがより少なくなり、経済活動がより合理的になりより明らかで公平なルールに導かれていることである。これは歓迎するべきことだ。
- しかし変革は十分ではない。また現存するルールは適切に実施されていない。しかしライブドアから学ぶべきことはたとえ経済が強くなっても最も弱い部分で傷つき易いということだ。東京証券取引所はライブドアで取引ボリュームが急拡大して以来取引時間の短縮を行なっている。これは危険な瞬間である。グリーンスパン前連銀議長は、1987年10月の株式市場の崩壊の経験から混乱の時期に証券取引所を閉鎖すると再び開くことが困難になると言っている。それは売値と買値の乖離が拡大するからである。
- 今週与謝野金融相はエコノミスト誌に証券市場の規律を強化したいと延べ、東証にシステム投資に惜しみなく金を使えと指示したと付け加えた。しかし東証の遂行能力については疑問が長く残るだろう。それは過去東証の役員フロアが金融庁官僚OBの隠居所の様に見なされていたからだ。
日本のマスコミや識者と呼ばれる人の一部にライブドア問題を小泉改革の反動と見たり、市場主義経済がおかしいという者がいる。これらに対して真っ向から切り捨てたのがこのエコノミスト誌の記事である。
規制下の資本主義と市場型の資本主義を車のエンジンとブレーキに喩えて考えてみよう。規制下ではエンジンの出力も低く抑えられているのでそれ程強力なブレーキでなくても車を制御することができる。しかし市場型では車のエンジンの出力に制限はないので凄いスピードを出すことができる。従ってよい強力なブレーキやサスペンションが必要なのだ。
規制緩和が間違っているという議論はスピードを出すと危ないから、高速道路に出るのを止めようといっている様なものだ。(無論かなり昔に日本という国をその様に舵取りする選択肢はあったのだが、今では日本は後戻りの出来ないルビコン川を渡ってしまった)
今の我々に出来ることはエンジンの出力を抑えることではなく、ブレーキとサスペンションを強化することである。更に比喩的に言えばドライバーつまり企業経営者に歩行者~つまり色々なステークホルダーや環境~に優しい運転マナーを教えることなのである。