8月31日(土曜日)天気は晴朗だけれど風が強い。
午前6時少し前に佐藤小屋を出発。昨夜は懐かしい山岳部のOB連中と焼酎を飲み過ぎたので体が重たい。午前9時に8合目下の山小屋太子館の下で昨年12月に滑落死したO氏の慰霊祭を行うというので、遅れない程度にゆっくりと登った。雲の間から秩父や八ヶ岳の山々、あるいは三つ峠などがよく見えた。
風が強く七合目から上の岩場では、時々風に煽られてフラフラする。登っている人の3割程度は外国人だった。時々彼らがseventh stationやeighth stationなど言っているのが聞こえた。何合目というのは英語ではstationということが分かった。
さて午前9時O氏の滑落現場に到着(標高3030m)。ご遺族、山岳会の仲間が揃ったところで般若心経をあげた。私が寺の生まれであることを知っている山岳会の連中は、私に経を読めいうので、声を出して般若心経を読んだ。ただしそれは「読んだ」というだけで修行を積んだお坊さんが「お経をあげる」つまりありがたいお経を仏様に奉るという行為とは別物であるので抵抗はあったのだが・・・・
細かい話は省略するが私の父は思うことがあり、30歳過ぎてから出家した。私が5,6歳の頃ではなかったか?と記憶している。だが私は僧侶になる気はさらさらなく、修行も行ったことはない。つまり仏教については全くの門外漢である。
諺に「門前の小僧習わぬ経を読む」というが、実際は門の中にいても習わぬ経は読めないものなのである。いやもっと正確にいうと小学校に上る前のころは親父の後について見様見真似で般若心経をあげていたことがあるから、その頃は暗記していたのだ。だが大人になってお経をあげる機会もなくなったので、忘れてしまった次第。
私の下手で有難味の薄い般若心経に先輩のO氏は「それでは成仏できんよ」と苦笑いされたのではないだろうか?
下手な般若心経の埋め合わせに若干ながら「色即是空」の教えについて感じるところを話しした。
人の生命には限りがある。私はそれを「色」(現象)と呼ぶと思っている。だが一人一人の生命は遺伝子という形で先祖から子孫につながっている。その遺伝子が空(根源)だと私は思っている。伝わっていくものは遺伝子だけではなく、ともに暮らした思い、ともに山に登った思いである・・・・・
良い話だ、と思うのだけれど参列者の反応はほとんど無し。良い話もちゃんとした坊さんが言わないと有り難さがでないのだろう。
さて10時20分頃下山開始(元気組は富士山頂を目指した)。私は翌日所用があったので、そのまま下山。吉田大沢をはさんで赤茶けた屏風尾根がスカイラインを区切る。
8合目からブルドーザ道路(下山道)に入った。
馬で登っていく人がいた。
風が強く飛んでくる小さな砂礫が顔に当って痛かった。
1時間歩くと佐藤小屋についた。11時20分。降ってきた富士山を振り返ると風が強く沢筋で砂煙があがっていた。
12時20分に佐藤小屋を出発して、馬返し13時50分到着。
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帰路の中央道は空いていて自宅についたのは午後4時だった。