2011年11月のネパール・トレッキングはカトマンズ空港に近いパシュパティナートPhashupatinath寺院の参拝から始まった。
11月7日カトマンズ中心街タメル地区のヴァイシャリホテルHotel Vaishali http://www.hotelvaishali.com/ に3時過ぎにチェックインした後、現地のトラベルエージェントプランホリディ社Planholiday http://www.planholidays.com/の車でパシュパティナートに向かった。乗車時間は約30分程度。日本語の上手なガイドさんが付いてきてくれた。大学で日本語を学んだが日本には行ったことがないという話。
パシュパティナート 寺院はヒンズー教を国教とするネパール(ヒンズー国家はネパールとインドだけ)の最高の聖地であるとともにインドの四大シバ寺院の一つであるという。
しばらく寺院に向かって進むと川の対岸で死体を焼く煙が立ち上っていた。ヒンズー教徒にとって死んだ後ここで火葬され、遺骨をここに流されることが最大の願いという。目の前の川はガンジス川の支流であり遺骨はインドのベナレスを通ってベンガル湾に流れていく。
ヒンズー教徒以外は対岸の火葬場に渡ることはできないが写真撮影は許されている。
そこには興味本位でシャッターを切ることを許さないある種の厳粛な雰囲気が流れていたが黙祷を捧げシャッターを切らせて頂いた。
パシュパティナート寺院には猿が多い。パシュパティナート(あるいはインドではパシュパティ)とは「獣の王」という意味でヒンズー教の最高神シバ神の化身で上機嫌の様相(シバ神は憤怒の様相である)だという。
この当たりになるとヒンズー教について知識がない私には分からない。
写真は夕暮れ時のシバ神を祀る本堂だ(フィルター加工をしている)。この本堂はヒンズー教徒以外に近づくことは許されていない。
夕闇が迫る中私達はガイドさんに従って寺院全体を見下ろす小高い丘に登った。
薄闇の中遺体を焼く火煙が続く。ガイドさんによると遺体を焼くのは家族(詳しくは長男が・・・という説明があったが忘れた)だけで僧侶は立ち会わない。
ヒンズー教では(本来の仏教たとえば日本では南都六宗もまた)聖職者は葬式に関与しない。それは不浄の仕事だからである。
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余談ながら今日本で話題なっている「直葬=遺体の火葬場直送」のことや僧侶なしの葬式や戒名をつけないということを考えていた。
戒名(浄土真宗では法名)を付けて高いお布施を遺族から頂くとか僧侶が読経して死者の魂の極楽浄土を願うということはここでは全くないようだ。
ヒンズー教の教義については知見はないが、仏教に対する浅薄な知識でものを申せば、本来の仏教(釈迦=ゴータマシッダールタが説いた教え)では僧侶の読経で死者の魂が極楽に行くなどということはない。正確にいうと釈迦は死後の世界について何も語らなかったし、僧侶が葬式に関わることは全くなかった。
つまり戒名や大勢の僧侶による読経などという葬儀システムは日本の仏教者が考えだした収入獲得方法だったのである。
ただだからといって私は直葬が良いと単純にいうつもりはない。長く続いた習慣には習慣の良い所がある。葬儀の場は死者を悼むとともに死者を自分の心の中に活かす場であるからだ。
パシュパティナート寺院の遺体を焼く煙を見ていると葬儀や遺骨の処理を経済面やあるいは故人の意志の尊重といったこと観点のみで議論している日本の風潮が少し浅はかに見えてくる。
ヒンズー教の教義ではシバ神は人間の総ての悪行を見通しで悪いことをした人には罰が下るという。勝手な解釈をすれば悪いことをした人の魂を僧侶がつけた戒名程度で守るのは無理、ということだ。信賞必罰なのである。
であるとするならば葬儀はまた残された人が自分の生き方を見つめなおす場でもあるということになる。