金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

発展途上国での写真撮影にはご注意を

2013年11月24日 | 旅行記

この前のネパールトレッキングで小さなハプニングがありました。

私が少し先行していた時、同行のNさんが小走りでやって来て「子どもに写真代を500ルピーだと迫られて困っている」というのです。私は少し前からNさんがやたらと現地の子どもや大人たちの写真を撮っていることに多少の不安と微細な違和感を感じていたものですから、少し事態を静観しようと思っていました。だって500ルピー(邦貨で500円)は法外な要求ですが、子どもにも肖像権はありますから、大人が黙って写真を撮って良いというものではない、と私は思ったからです。

Nさんが多少苦労しながらでも自分で問題を解決した方が薬になる、と思ったのですが、結局現地人ガイドが子どもを追い払い問題は解決しました。

その時私は40年前に自分が経験したある苦い思い出を思い出していました。

★   ★   ★

それはまだ私が大学生だった頃のこと。カラコルムの未踏峰遠征の後私は一人でパキスタンの中部を旅していました。それはモヘンジョダロ遺跡近くの鉄道の駅での出来事です。パキスタンの鉄道は時刻表通りには走らない。だから乗客特に下級車両の乗客は生活必需品を担いで列車に乗ります。その風景が興味深くカメラを向けたところ、ある男性から私は注意を向けました。

「君は好奇心から列車待ちの風景を撮ろうとしている。だが撮るべきではない。君の住む日本に比べると我々の生活は劣っている。だが我々は一生懸命努力している。我々は自分たちに醜い部分があることを知っている。そこは知られたくないし写真に撮ってほしくない。」というものでした。

私は自分の浅はかな思いを素直にわびました。

★   ★   ★

時は流れました。この時のエピソードを思い出すことは少なくなりましたが、私の心のどこかに「世界の人々はそれぞれの発達段階を精一杯に生きている。上から目線でものを見てはいけない。それは神様が人間に、いや総ての生物の発展のために与えてくれたdiversity(多様性)の結果なのである。」という思いは生き続けました。

ここでいう神様はキリスト教の神様や神道の神様を越えた「宇宙神」あるいは「生命の根源」という意味です。我々生き物は環境変化に対応できるように、多様化するような仕組みが内在している、私は思うのです。

平野を好む民もあれば山地を好む民もある。乾燥したステップを好む民もあれば、湿潤な森を好む民もいる。それによって地球環境が変化しても人類全体としては生き伸びることができるようになっていると私は思うのです。

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話が長くなりました。

ネパールのような発展途上国を歩いていると、我々の生活習慣と違う暮らしぶりを見かけついシャッターを切りたくなります。だがその前にちょっと考えてみましょう。

我々にその権利はあるのでしょうか?

もしあなたが日本の自宅の庭で何かをしている時誰かにいきなりシャッターを切られたらどんな氣がしますか?

まして見られたくないと思っているような行為を写真に撮られたとするとどんな氣がしますか?激しい怒りを覚えるのではないでしょうか?

「興味本位」というのは、私は相手のHumanityを尊重した態度ではない、と思うのです。

★   ★   ★

我々はDiversityということをもう少し突っ込んで考える必要があるでしょう。そうすると今の先進国の優位性は長い生物や人類の歴史の中のホンの2,3百年の現象に過ぎないことが見えてきます。我々はもう少し謙虚になるべきなのでしょう。

村人や子どもの写真を絶対に撮ってはいけないとは言いませんが、シャッターを切る前に「自分はなぜその写真を撮ろうとするのか」と問い、もし必要であればその理由を告げて相手に了解を求める謙虚を持つ必要があると思います。

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昭和記念公園の紅葉

2013年11月24日 | まち歩き

11月24日日曜日快晴。ワイフと昭和記念公園に紅葉を観に行った。初めはマイカーで出かけて途中気の利いた店でランチ、と考えていたが車では行き先が制限されるので電車に替えた。

Showa2_2

Showa3_2

Showa4_2

Showa5

Sowa2_2

久しぶりにオリンパスE30の描写力を活かして写真を楽しんでみた。

ランチに高島屋の鼎泰豊を目指したがこちらは長蛇の列。紅葉を楽しんでから好きな中華・・・とは流石にいかなかった。

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英語の海外隔離合宿?それより野山を歩かせては?

2013年11月24日 | うんちく・小ネタ

今月(11月)初めに若い女性達と話をしていた時、彼女たちの会社で「英語教育のために若い男性社員をフィリピンのある島(おそらくセブ島)に缶詰にして英語漬けを図る」研修を行うということが話題になっていました。この会社はみずほGの中のある会社なのですが、私はその時釈然としないものを感じていました。

その釈然としないものはネパールから帰国する途中で明らかになってきました。それは「外国の島の中のホテルかどこかに缶詰にして研修するなんてあまり意味が無い。缶詰にするならセブ島であろうが箱根の山奥の研修センターでも変わりはない。外国に行くなら研修では外に出すべきだ。それも一人で出すべきだ」という思いでした。

例えば「半月ほどネパールの街や農村あるいは簡単なトレッキングルートを歩く研修」というのはセブ島のホテルでの缶詰研修よりはるかに有効だと思います。

ホテルでの研修はゴルフの練習場のしかも狭いカゴの中でボールを打っているようなもの。それに比べてネパールの野外旅行は本番のゴルフ場です。ニューヨークやロンドンでミュージカルやオペラを観たり、高級レストランで外人さん相手に優雅に食事を楽しむのを一流ゴルフ場に例えれば公設の河川敷コース程度ですが。

ネパールの若者の7割程度は大学に進学しますし、英語は小学校から義務教育化されていますから大部分の青少年は英語を話すことができます。またトレッキングではネパール人以外にヨーロッパ人など数多くの外人と話をする機会に恵まれます。

そうすると色々なことがわかります。まず一口に英語といっても国の数ほどその違いはあるということです。アメリカ人やイギリス人の英語だけが正しい英語、という時代は過ぎつつあることを実感できるでしょう。次に世界には色々な勤務形態や休暇制度があり、人々は求めるライフスタイルに合わせて色々な働き方を選択していることがわかります。それが分かると価値観が変わります。

もっともこのような提案をしても、乗ってくる会社や人事担当者はほとんどいないと思います。

やらない理由は簡単です。

「英語もろくに出来ない若者を一人で海外に出したら何が起きるか不安」・・・・一人前の大人になって一人で旅に出すことが不安なような人物なら缶詰研修してもものになりません。

「具体的な成果の測定ができない」・・・・・直ぐ測定できるような研修効果は長続きしません。その人物の深い部分にインパクトを与える研修こそ重要な研修なのです。

「価値観が変わって転職されては困る」・・・・それくらいになる人物なら役に立つ人材です。慰留して活躍の場を与えてください。

私が若くて研修担当者であればこんな研修を実施してみたいな、と思いました。

小さな失敗を繰り返しながら肌身で学んだことは長く身につくのですが、机の上で学んだことはすぐ抜けてしまう、というのが私の実感ですから。

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2013年11月ネパール(7)~下山

2013年11月24日 | 

Cow
11月15日快晴。6時過ぎに起き出してアンナプルナⅠ峰に朝日が指すのを待つ。トイレの床が凍って滑りそうになった。推定気温はマイナス5度だ。

Annapluna

午前6時半頃アンナプルナⅠ峰が黄金色に輝き始める。至福の一時と言いたいがかなり寒い。激しい動きをすると呼吸が少し荒くなったので、4,100mの高度の影響は少しあるのかもしれない。ただし頭痛などはない。

7時33分下山開始。8時30分マチャプチャレベースキャンプ通過。

Mach4

ロッジの向こうにアンナプルナⅢ峰の美しい姿が見えた。

11時25分ヒマラヤンホテル到着。昼食。12時10分出発。13時55分ドバーンDobhan2,520m到着ここで宿泊。

11月16日 7時45分にドバーンを出発。バンブー付近までくるとかなり暖かく感じた。

ここから見るマチャプチャレは双耳峰が「魚のしっぽ」に見える。

Machh6

11時7分シヌワSinuwa2,360m到着。昼食。ここでKさんという日本人単独トレッカーとであった。Kさんは73歳。広島大学山岳部のOB。12月上旬までのビザを有効に使ってのんびりとトレッキングを楽しみたいとのこと。12時30分シヌワ発。

今夜の宿泊地チョムロンとの間にはチョムロン川が流れていてこれを越えるために大きな下降と登り返しを強いられた。

Chhomrongclimb

14時チョムロン到着。チョムロンからは目の前にアンナプルナ南峰7,219m(左)とヒウンチュリHiun Chuli6,434mが見える。二つの峰から降りてくる氷河から冷たい風が吹いてくるのでここは標高の割には寒く感じるところだった。

夜アレルギー性鼻炎(寒気にふれるとくしゃみがでる)と風邪のため食欲減退。

Chhomrong2

ガイドが呉れたSanchoという水薬をハンカチに垂らして鼻にあてて寝たらかなり良くなった。Sanchoはメンソレータムのような感じだが刺激はもっと強烈だった。

11月17日快晴。最後の宿泊地ガンドルクGhandruk1,940mを目指す。ガンドルクからしばらく進むとジヌーから登ってくる道と出会った。数日前登ってきた道だ。ここを右折し山の斜面をトラバースしてキムロン川Kimrong Kolhaまで下るのだ。

Cow_2

牛の群れを追い越しながら先を急ぐ。ヒマラヤ桜が綺麗に咲いていた。ネパールでは桜は春と秋に2回咲くという。

Cherry

Kimrongkola

ようやくキムロン川に着いた。ここからガンドルクまで標高400mの登りがこのトレッキング最後の大登だった。

14時40分 ガンドルク到着。ここはグルン人の村落として有名なところだ。休憩後ガイドと一緒に仏教寺院Monasteryとグルン博物館を観に行った。Monasteryは通常修道院と訳されるが、ネパールの山岳地域ではMonasteryは仏教寺院を指し、Templeというとヒンズー寺院を指しているようだ。博物館前で撮った写真。トレッキングがほぼ終わったので皆の表情が和んでいる。

Entrance2

ところが宿に帰ったところ、旅行会社の社長から電話があり、「明後日19日はネパールの総選挙で反対派が大規模なストライキを実施する予定で交通機関が止まる。明日もストライキがあり、ツーリスト以外の足は止まりそうだ。とにかく急いでカトマンズに帰らないと帰国便に遅れる可能性がある」という。

ガイドやロッジの主人とあれこれ相談したが、とにかく朝一番でジープがでるキムチェKimche1640mまで下りてジープを捕まえるのが一番ということになった。この日は恒例に従い、ガイドとポーター(普通はポーターは呼ばないがガイドの弟なので参加)と一緒に食事をした。

11月18日快晴。7時30分にロッジを出てキムチェまで駆け足でくだった。キムチェには40分後の8時10分頃到着。通常トレッキングルートを歩くときは「ビスターリ、ビスターリ(ネパール語でゆっくりという意味)」と声を掛け合うが、この日は「チト、チト(急いで)」ベースだった。

ジープはタクシーが来るナヤプルNayapulまで5千ルピーだが良いか?とガイドが聞く。OKと返事。これでほぼ無事ポカラ空港に行き、午後1時30分の飛行機に乗れる目処が着いたと一安心。

9時10分ナヤプル到着。ナヤプルは英語でいうとNew bridge。フェディとともにアンナプルナ周辺トレッキングの拠点になってる。

Nayapul

ガイドが「ここで昼飯を食え」という。9時過ぎだから早いというと、予算がタイトで飯の高いポカラでは昼飯代が出ないという。仕方がないからドーナツを食べることにした。

Dounat

ガイドの話ではストライキでバスが止まると彼等にはポカラからカトマンズまで戻る交通手段がない。旅行会社がストによる被害の補償をしてくれることもないようなので、少し気の毒になった。10時前にチャーターしたタクシーに乗り40km離れたポカラ空港には11時過ぎに到着し、1時半過ぎのフライトでカトマンズに戻った。

こうして私達の9日間にわたるアンナプルナ内院トレッキングは予定どおり無事終了した。

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