金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

ビル・グロスという兵法者の行方

2014年10月02日 | うんちく・小ネタ

先週「債権王」と呼ばれたこともあるビル・グロスが世界最大の債券運用ハウスPIMCOを突然辞めたことは、資産運用に関心のある人には大きなニュースだった。

私が3年ほど前に書いた「ビル・グロスの大胆な賭け」という短いエントリーにも検索エンジンから幾つかの閲覧があった。「大胆な賭け」はグロス自身の進の問題ではなく、相場見通しの違いから、運用成績がベンチマークに較べて見劣りしていた彼が米国の長期金利の低下に賭けて大きな勝負にでた、というニュースを解説したものである。

グロスの今回の辞任の背景等について、私はごく一般的なことしか知らないし、そしてまた関心も高くない。しかしこのニュースを聞いて兵法者は兵法者としてしか生きていけないのだな、という印象を強く感じたので、その思いを少し述べてみたい。

ニュースを聞いて、思い出したのは戦国末期の剣豪・柳生石舟斎の次の歌だった。

「兵法の舵をとりても世の海を渡りかねたる石の船かな」

「無刀取り」という秘技を編み出し、畿内無双の剣豪とうたわれた石舟斎だが、領主としては苦労した。太閤検地で領地を失うという苦労も味わった。

債券運用の世界で勇名をはせたビル・グロス。個人的にはかなりの資産を積み上げたから、石舟斎と比較するのはどうか?と思う面もあるが、グロスもまたPIMCOという大きな組織を渡るには苦労した。PIMCOの経営陣を叱責する過激な文章を叩きつけたため、解任される瀬戸際に追い込まれたので、その前に辞表を出したということのようだ。

債券運用を現在の真剣勝負とすればグロスもまたその道の無双の兵法者だ。しかし金利の行方を読み、運用を極めたものでも、組織の中の人の心を読み、その中を渡るのは難しいことだったのだ。いや、孤高の兵法者は元々、世俗の人の世とは相いれないものと考えるべきなのだろうか?

石舟斎の息子が柳生但馬守宗矩。宗矩は関ヶ原の合戦や大坂夏の陣の武功により、徳川家の旗本に取り立てられ、更には二代将軍秀忠の剣術師範になりやがて大名の末席に連なるまで出世した。

剣の腕は石舟斎に劣ると言われたが(私には本当のところは分らないが)、世渡りの才能は明らかに父を上回っていた。

戦国の世が平和な徳川時代に変わっていく中で、抜群の個人の剣技よりも、組織と調和する能力が求められたということなのだろうか?

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登山事故を減らす方法はあるのか?

2014年10月02日 | 

今朝(10月2日)時点で47人の死亡が確認されている御嶽山の噴火による遭難。死傷者は100人を軽く超えるだろう。「噴火の予知能力を高めることはできないのか?」という声が上がっているが、多少精度を高めることはできても、完全な予知は不可能だ。また仮に噴火の予知精度を高めることはできたとしても、登山に伴うリスク要因は多様で総てのリスクを予想することは到底不可能だ。

例えば「雷」「突風」「豪雨」「急速な気温低下」「豪雪」「雪崩」「地震」「獣害」など登山には様々リスク要因があり、それらを完全に予知することが不可能は自明である。

では登山事故を減らす方法はないのか?というとそれはある。

まず極論を述べよう。登山事故を減らすというかゼロにする方法は山に登らないことである。少なくとも経済活動上の必要がない限り山に登らないとすれば、山岳事故を大きく減らすことができることは間違いない。

誤解しないで欲しい。私は「趣味で山に登るな」という訳ではない。山岳事故を減らす方法論を検討する上で最初に「極論」を示しただけに過ぎないからだ。

人は何故生きるのか?ということを考えていくと人間には「厳しいスポーツ活動を通じて、限界に挑戦すること」を生き甲斐にしているタイプの人がいることに気が付く。そしてそのような冒険者の活動が多くの人々に勇気と人間のすばらしさを教えてくれていることに気が付くだろう。

そこまで極論を述べなくても、登山が約8百万人いると言われる日本の登山愛好家やハイカーたちに心と身体の健康をもたらし、revitalizeすることで、経済活動や社会活動にプラスに作用していることは看過してはならないだろう。

しかし山岳事故はできるだけ減らしたい。その方法のヒントは実は私が最初に述べた「極論」の中にある。それは何か?というと「山の中で危険地帯にいる時間をできるだけ短くする」ということなのだ。金融用語を使って少しキザな言い方をすると、Risk exposureを少なくするということなのだ。

もう少し具体的に説明しよう。実は私と一緒に山に登った人は大抵私が「頂上での滞在時間を短く切り上げる」のに驚いて「もう降るのですか?」と呆れた顔をする。だが私は低山でない限り、頂上での滞在時間はできるだけ短くしている。素晴らしい景色を目に納め、撮るべき写真を撮ったらサッサと降るに越したことはないと考えているからだ。

この判断は日本の多くの冬山登山の経験と幾つかの海外登山の経験から学んだものである。何故なら山の頂上は非常にrisk exposureが高いからだ。

天気が良いと頂上でゆっくりしたいというのは人間の性(さが)。だが頂上は色々な危険に満ちている。たとえば高い場所なので天気の変化の影響を受けやすい、落雷の可能性が高いということを考えると理解しやすいかもしれない。また実際に登山をする人の中には「頂上で長居をしたため、下山時に雨に降られた」とか「頂上で長居をしたため暗くなり道に迷った」という経験をお持ちの方もいるだろう。

頂上以外にもリスクの高いところは幾つかある。たとえばガレ場と呼ばれる崩壊地だ。そこは自然落石・人口落石の危険の高いところだ。そんなところで休むのはもっての外。出来る限り素早く通過することだ。遮るもののない尾根筋もいったん天候が急変すれば危険地帯に早変わりする。万一の場合に備えて逃げ道を考えながら、歩く必要がある場所なのだ。

これらのリスクを避けるには、「低い場所」や「樹林帯のように身体を守るものがある場所」までできるだけ素早く降ることなのである。

また場所と同様時間にも「危険な時間帯」がある。たとえば雪山では太陽の光がさし始める頃は谷筋などでは危険な時間帯だ。日の光で溶け始めた雪が雪崩を起こすからだ。だから早朝、気温が低いうちにこのような危険帯は通過するのだ。

もちろん以上のようなことに気を配ったとしても、山岳事故をゼロにすることは不可能だ。自然は人間の予知能力を超えている。しかしRisk exposureを減らすことで、山岳事故の確率を下げることは可能だろう。

さらに言えば高い山に登りながら、山岳事故を減らすにはRisk exposureを少なくするしか身を守る方法はないとすら私は考えている。

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第4四半期は厳しい幕開け、米国株。

2014年10月02日 | 株式

昨日(10月1日)の米国株は大きく売り込まれた。ダウは238ポイント1.4%下落した。

複数の悪材料が重なった。まずドイツが発表した先月の工業生産高が15か月ぶりに減少。ロシアへの経済制裁が欧州経済の足かせになっていることを改めて投資家に想起させた。米国で発表されたISM製造業景況感指数が市場予想58.5を下回る56.6にとどまったことも売りを誘った。

米国ではリベリアから帰国した人がエボラ熱に感染していたと発表された。米国内でエボラ熱患者が発生したのは初めて。このため航空会社の株が大幅に下落し、市場全体の重しになった。

小型株のベンチマークRussell2000は昨日までの下落幅が10%に達し、いわゆるコレクションと呼ばれる領域に入った。エボラ熱騒動、イスラム国問題、ロシア問題等国際情勢は不透明感を高め、米国株の投資環境には明らかにマイナス。今月で終了する量的緩和の終了は中堅企業へのダメージ大という予想からスモールキャップが売り込まれている。

さてコレクションが市場全体に広がるかあるいはbuy in dipで買い場を探していた投資家の買いが相場を支えるのか?

先週まで堅調だった日経平均も今日、いったんは16,000ポイントを割ることは間違いない。個人的にはもう少し下押しすると思うので、buy in dipには早そうだ。

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相続学会第二回研究大会のご案内

2014年10月02日 | 社会・経済

一般社団法人 日本相続学会は昨年に続いて、今年も11月に研究大会を行うことになった。http://souzoku-gakkai.jp/event/conf/

今年の研究大会で基調講演を行うのは、京都大学霊長類研究所の教授で文化功労者の松沢哲郎氏だ。

Drmatuszawa

松沢教授は類人猿つまりチンパンジー研究の専門家だ。で何故松沢教授に相続学会の研究大会でメインスピーカーをお願いするのか?という点については、実は学会理事の間でも軽い疑問の声が起こったことは確かだ。

だが松沢氏の講師招聘について尽力した学会長のI氏によると「相続というものは単に財産を次世代に引き継ぐだけではない。いかに生きてきたかということを含めて全人的な有形無形の財産を引き継ぐのが相続」ということになる。そして相続は人間のみならず動物の世界にもある。むしろ我々人間が見失ってしまった心の問題について類人猿から学ぶことがあるのではないか?ということになる。だから類人猿研究の第一人者である松沢教授にお話をお願いしたということになる。

ところで松沢哲郎氏と私は学生時代に多少面識があった。京都大学山岳部の松沢氏と神戸大学山岳部の私はともに関西学生山岳連盟の委員として1,2年の間、何度か顔を合わせて話をしたことがある。

松沢氏は1973年の京都大学のヤルンカン(カンチェンジュンガ西峰)遠征に学生として参加した。私の記憶が正しければ、京大隊はヤルンカンの初登頂に成功したが登頂メンバーの一人は下山途中で遭難した。ヒマラヤのパイオニアワークで名声を轟かせた京大山岳部(会)の悲劇はそこで終わらず、その後国内で幾つかの遭難事故が起きた・・・・。恐らく山岳部OBとして松沢氏は「あるべき山岳部の姿を模索する」上でも色々ご苦労をなされたのではないだろうか?

松沢氏が今回の講演でそのようなことに言及されるかどうかは分らないが、このような登山経験が、研究活動にどのように投影されているのかは興味深いところである。

話を相続に戻そう。

これは私個人の見解なのだが、相続財産が配分される切り口には、大雑把にいって5パターンあると考えている。

第一は「子孫繁栄」という切り口だ。歴史を振り返ると「子孫繁栄」のために、人間は色々な方法を生み出してきた。原則長男が家屋・田畑・祭祀を総て承継するというシステムもあれば、家刀自に優秀な婿を迎え家業の維持繁栄を図るというシステムもあった。この切り口はおおむね「強者優遇」型と考えてよいだろう。

第二は「平等」という切り口だ。現在の民法は遺言書による指定がない限り、子どもの間の相続分は相等しいと定めている。これを「平等」の切り口と呼ぼう。

第三は「公平」という切り口だ。平等が算術的な均等を意味するのに対し、「公平」は、相続人の被相続人に対する貢献度あるいは相続人の能力やもし障害があればその障害の度合いなどを考慮して、相続財産の配分を決めようという切り口だ。

第四は「生存配偶者保護」という切り口だ。相続財産は夫婦二人の力で作られたものだから、生き残った配偶者が生活に困らないように遺産は配分されるべきだという考え方だ。

第五は「遺言者の自由意思」という切り口だ。死にゆく人はこの世における自分の志を持続するために、財産の使い道を自由に指定することができる。たとえば学問を志す若い人のために「奨学金を支払う基金」を設立するなどと。

私は人間以外の動物の場合は「子孫繁栄のための強者優遇」という切り口が中心で、一部に「平等」という切り口が見られる程度だ、と考えている。

ライフサイクルにおける人間と人間以外の最大の違いは何か?

人間にあって他の動物にないものは「老後」である。年老いて走れなくなった草食獣はライオンのエサとなるが、年老いてエサを獲ることができなくなったライオンに仲間がエサを運ぶほどライオンの群れは多くの獲物をとることができない。だから食われるものも食うものも現役を終えると直ぐ死んでしまうしかない。

自分が食べる以上に食物を得る能力が人間に備わったことで「老後」が生まれ、相続にも色々な切り口が生まれてきた。そしてその色々な切り口の衝突が相続争いを起こす。総ての関係者が「一つの切り口」(遺産分配のルール)を共有することができれば争いは起きないのだが、豊かさは多様な切り口を生み出してきた。

この切り口のことを被相続人の側から見ると「遺産動機」と呼ぶ。一方相続人側からみると「遺産に対する期待」と考えてよいだろう。被相続人の「遺産動機」と相続人の「遺産に対する期待」のずれ、および「相続人の間の遺産に対する期待のずれ」が争いの原因になるのだ。

私はここでどの切り口が良いとか悪いとか述べる積りはない。ただこのような切り口があるということを知り、色々な考え方を持つ他者へ理解を深めるだけでも相続争いは少なくなるかもしれないと考えている。

 

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