この3連休(10月11日ー13日)で、頸城山塊の火打山・妙高山登山に出かけた。基本計画は登山1日目に笹ヶ峰から火打山に登り、黒沢池ヒュッテに泊まり、2日目に妙高山を越えて赤倉温泉に登るというものだった(元気な人が一人1日目に妙高山と火打山を登って黒沢池ヒュッテに泊まった)。
1日目は快晴で無事火打山登山を終了(一部体調の悪い人は火打山登頂を割愛した)。
2日目は台風が接近していたが、朝5時20分頃の黒沢池ヒュッテは曇り。妙高登山を止めて笹ヶ峰に直行するグループと分かれて、妙高登山グループは大倉乗越に向かったが、20分ほど登った大倉乗越の手前で雨が降り出した。少数の「このまま行きましょう」という声もあったが、妙高山の岩場のスリップリスクや台風接近に伴う交通マヒリスクを考慮して、笹ヶ峰に引き返すことを決定し、先発隊は7時半頃笹ヶ峰に到着した。
だがこの時実はちょっとしたハプニングが後続隊に起きていた。それは後続隊の中核メンバーの一人が濡れた岩場でスリップして軽い肉離れを起こすというものだった。肉離れ自体はたいしたものではなく、後続隊も約1時間後には下山してきたので、大きな問題には至らなかった。
しかしこのちょっとしたハプニングは、私に改めてグループ登山における「予測と価値判断の難しさ」という問題を提起したように思われる。
予測つまりこの場合は当日の気象判断だが、黒沢池ヒュッテ界隈は携帯電話の電波が届かない上、小屋にはテレビがないため、気象情報は前夜の聞き取り難いラジオ放送だけが頼りだった。また当日の雲の様子などから見て、昼頃までには雨が降り出すと誰もが予想したが、「数時間は雨は大丈夫だろう」と判断を下した。だから妙高山登山に向かったのである。一つの問題は「数時間の間雨は降らないだろう」という判断は、「数時間の間雨は降って欲しくない」という希望的観測により歪められていた可能性がる、ということだ。もし何らかの理由で「下山を急ぐ」というモチベーションが高かった場合、「数時間のうちに雨が降るだろう」という予測を立てていた可能性は高い。人間の判断力は決して客観的ではなく、潜在的な希望に左右されている可能性が高いということだろう。
次に仮にメンバーの気象判断の足並みが揃ったとしても「その環境下で登山を続けるかどうか」は各自の「登山に対する考え方や価値判断」で異なるという問題がある。「せっかく来たのだから、少々の雨でも登ろう」という意見と「雨なら面白くないから次の機会にしよう」という意見がでるのは、しばしば起きることだ。「雷を伴う雨」とか「視界が極端に悪い吹雪」が予想されるような場合は当然誰もが「やめ」と判断するのだが、そこそこの雨の場合は「登山に対する価値判断」の問題が入るので、リーダーとしては、意見をまとめるのに慎重な判断が求められる。もっとも「行きたい人は行き、帰りたい人は帰る」というグループ分けも可能だが、あまり少人数になると事故対応能力が低下するので、安易なグループ分けは危険だ。
もっともこのような問題は、リーダーの統制力が強い山岳会の場合は余り起きないだろう。それは「メンバーの価値判断基準が一致していて」「リーダーの統率に従う」というルールが徹底しているからだ。
ところが元の職場の山好きを中心とした場合の登山グループの場合は、「価値判断基準は必ずしも一致しておらず」「リーダーの統率に従う」という規律も山岳会ほど強くはない。またリーダーもメンバーの体力的・技術的限界を知悉している訳ではないという問題もある。
無論下山時のメンバーの一人の肉離れと妙高山を登り始めたという判断の間に強い因果関係があるとは思わない。肉離れというハプニングの直接的な原因は靴底が滑り易かったことや傘をさして岩がごつごつした道を歩いていたことにあると思われる。しかし仮に「妙高山に登ることを止めて初めから下山していたらこのハプニングは起きなかったかもしれない」という仮説は成り立つかもしれない。
もとより登山には大なり小なりリスクはつきものである。そのリスクを引き受けるかどうかは達成することによるご褒美の大きさで判断するしかない。仮にご褒美を頂上からの素晴らしい景色とするならば、雨の日の登山はリスクとご褒美が見合わない可能性が高い。ただし人によってはご褒美をその山に登った記録、と考えている人もいるので、グループ登山による意思決定には時々難しいことがあると私は改めて思っている。