金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

アメリカ人が感じている最大の問題は「移民」ではなく「政府への不満」なのだが・・

2018年01月21日 | 国際・政治

先週米国の上院でつなぎ予算法案が否決されたことで、昨日午前0時から一部の連邦政府機関が閉鎖に追い込まれた。

ただその影響についてはマスコミの報じ方により読み手のイメージはかなり変わりそうだ。日経新聞(1月21日)朝刊のタイトルは「米、週明け混乱の恐れ 政府機関閉鎖」である。WSJ日本語版は「米政府機関閉鎖、業務の大半は継続へ 社会保障給付、ロシア捜査も」である。

つまり閉鎖される業務に着目するか?継続する業務に着目するか?でイメージが変わる。これはコップの中に半分残っている水をみて「半分しかない」と判断するのか「半分も残っている」と判断するかというテーマと共通しているかもしれない。

つなぎ法案が否決された原因は共和党と民主党の移民政策を巡る対立だ。

だが移民問題がアメリカ人全体の最大の関心事かどうかというと、実はそうではないようだ。

ギャラップが今月初めに行った世論調査「この国が今日直面している最も重要な問題は何だと思いますか?」の一番の回答は、政府に対する不満で25%を占めた。

2番目が移民問題で8%ただしほぼ同率で人種問題(7%)医療保険(6%)国の統合(5%)が続きている。

議会での共和党・民主党の争いは責任のなすり合いの様相を呈している。多くのアメリカ人は妥協点を見出し、連邦政府機関が閉鎖に追い込まれる事態は避けて欲しいと思っているのだが・・・

何時議会が妥協点を見出すかは分からないがはっきりしていることは次の世論調査で政府に対する不満度が高まることだけは間違いないだろう。

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相続学とジェロントロジー(老年学)

2018年01月21日 | 相続

今週は週半ばに某所で「相続学の学問領域」という話をすることになっている。学問とは余り縁のない私が「学問領域」などと大袈裟なタイトルで話をするのは随分夜郎自大なことだと少々自分でも呆れている。

それにそもそも「相続学」などという学問分野があるのか?という基本的な疑問がある。巷間〇〇学などというタイトルで本が出版されることも多いが、〇〇学の「学」は「知恵」とか「ノウハウ」程度の意味で使われていることが多い。本当の学問となると「ある問題を解決するための体形的な理論」ということだろうから「体系」が必要であろう。「相続学」にこの体系~つまり骨格のようなものが備わるかどうかは今後の専門家の努力にかかわっているのかもしれない。

ところで相続が一般的にある程度の財産を持った高齢者の問題であるとすれば、より一般的に高齢者の問題を考えるジェロントロジーという学問分野がある。日本語では「老年学」「加齢学」というそうだが、老年・加齢というとややマイナスのイメージを伴うようでジェロントロジーGerontologyという英語がそのまま使われることが多いようだ。

数日前の日経新聞には野村證券の水野晋一執行役員の「野村証券は『ファイナンシャル・ジェロントロジー(金融老年学)に注目している」という言葉が出ていたがこれもその一例だろう。

ジェロントロジーというのは1970年頃から米国で飛躍的に発達した学問分野で今では本当の学問分野として確立しているそうである。

ジェロントロジーが目指すところは恐らく「よりよい老後を迎え人生を活き切る」ことにあると私は考えている。

仮にそうだとすると、このような考え方は昔から日本にあった。典型的な言葉としては江戸後期の儒学者・佐藤一斎に次の言葉がある。

「少(わか)くして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老にして学べば、則ち死して朽ちず」(言志晩録)

中年時代に勉学に励めば老年になっても衰えることはない、老年になってもなお学び続けると死んでもその名は朽ちないということだろう。

また佐藤一斎は「血気には老少ありて、士気には老少なし」とも述べている。つまり学ぼうとする心意気に年齢による差はないということだ。

よりよい老後を送る一つの方法はチャレンジを続けることではないだろうか?寿命には色々な寿命がある。一番一般的なのは「肉体の寿命」だが最近では「健康寿命」ということも注目されている。ファイナンシャル・ジェロントロジーでは「資産寿命」を伸ばすということが命題になっている。加えて私は「好奇心寿命」とか「チャレンジ寿命」というものがあると考えている。そして「好奇心寿命」や「チャレンジ寿命」が「健康寿命」や「資産寿命」を伸ばすエネルギー源だろうと考えている。

さて相続の目的は何か?というとこれは人よって色々意見が分かれるところだが私は「自分が残す財産に自分の思いを伝える」ことだと考えている。キーワードは「思い」=志と「財産」である。財産だけあって志がない、あるいは志を伝える方法が欠けている場合は「思い」は伝わらない。そして悪い場合は相続人間の争いを招く。

相続学が学問分野になるかどうかは根本にこのような哲学を据えることができるかどうかにかかっていると思うのだが、果たしてその思いがセミナーで伝わるかどうかは分からない・・・・

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