明日(4月2日)某所で新入社員の方に講話をすることになっている。
これから社会人になっていく人は、我々が経験したことのない環境変化を迎えることになる。一つは高齢化社会だ。話をする会社の定年年齢は60歳で65歳まで雇用延長制度を採用しているが、やがては70歳ぐらいまで定年延長を行うことになるだろう。長い間働くためには、雇用される能力を持続する必要がある。つまり勉強を持続することが必要なのだ。
また遅かれ早かれ色々な分野で人工知能AIが進出してくる。単純作業はやがてAIに奪われる。つまりAIに奪われないような能力を身に着けていくことが必要なのだ。
タイトルは「高度情報化社会の仕事術入門」というやや大袈裟なものにした。
ポイントは現在のIT技術を活用しながら、効率よく「自己研鑽の時間を捻出する」ことにした。
では捻出した時間で何を研鑽するのか?
それは「情報を熟成させ、知識に高め、さらに思想にまで高める」プロセスを研鑽することである。
情報とは基本的には日々起きていること・起ころうとしていることだ。重要ではあるが、それ自体では大きな意味をなさない場合が多い。
例えばマスコミに「どこそこで自動運転車の実験が行われた」とか「AIスピーカーに話かけると天気予報を教えてくれる」などが情報の例だ。
このような情報が積み重なってくると「我々は高度情報化社会の入り口にいる」という認識が固まってくる。これが知識のレベルだ。
次にその知識に基づいて「我々は何をすべきか?」という行動指針の問題が出てくる。これら価値観・理念をまとめて思想と呼ぶことにしよう。
現段階で単純な情報収集では既にAIは人間を上回る能力を発揮する場合が多い。
しかしその情報を知識に高め、さらに思想に高める点では人間の方がはるかに優れている。
人間は他人と議論をしたり、自分の中でテーマを掘り下げることで情報から文脈を紡ぎだすことができるからだ。
文脈を紡ぎだすためには、時間が必要だ。つまり情報を熟成させることで、味の良い知識や思想を得ることができるのだ。
結論としては味の良い知識や思想を発信することができる人間がAI時代を生き残ることができるということになり、そのような人間を目指す仕事術が必要ということである。