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「医師の死生観」~名医が語る「いのち」の終わりを読んで

2018年04月16日 | 本と雑誌

「医師の死生観」梶 葉子著 朝日新聞出版を読んだ。近くの図書館の新書コーナーでたまたま見かけたので読んでみた。

死生観は人それぞれ異なる。医師という共通の職業を通じて多くの「死」を見てきた人々でも死生観は随分違うものだと認識を新たにする。

「死んだ後はゼロ、何もない、と思う」という医師もいれば、「いのちは、死んで終わってしまうものではない。死とはこの世からあの世に行く、『いのち』の通過点です」という医師もいる。このお医者さんは僧侶でもある。

キリスト教の信仰を持っている医師の方は「僕はかなりの確信を持って、人は死んだら神のもとに行くと思っています」と述べている。

死生観はお医者さんそれぞれだが、最大公約数は「いつ、どういう死に方をするなんて、誰にも分らない」という意見だろう。

「ピンピンコロリ」は多くの人が望む所だが、医師たちによるとピンピンコロリで亡くなる人は1割にも満たないという。

死に方は選択できないから、やりたいこと・やるべきと信じることを今やるという意見のお医者さんが多いと思った。

以下は私の意見である。

古来人間は死の恐怖を逃れるため、死後の世界の物語を紡いできた。キリスト教やイスラム教の天国・地獄という物語。ヒンドゥ教や仏教徒の輪廻転生という物語。日本古来の死者の魂は人里から遠くない森に棲むという物語・・・

物語の背景には死者の弔い方があったのだと思う。死者の弔い方を規定したのは、風土である。樹木の乏しい砂漠地帯に生まれた一神教は火葬ができないので火葬を忌みそこで天国・地獄という物語が生まれた。高温多湿なインドでは、土葬は衛生上好ましくないので、火葬が行われ、豊富な動物群を目にする機会が多かった人々は輪廻転生という物語を編み出した・・・

科学的には死んだらすべて終わりである。しかし残された人々の中に、亡くなった人の記憶や記録は残る。また大きな仕事をした人の功績は人々の生活を楽にするという形で残っていく。

当たり前のことだが、家族・社会・文化といった形では、死んだ人もしばらく生きているのである。

そう考えると良い生き方をした人は長く生きる(実際の寿命の長短にかかわらず)と言えよう。

死に方は選択できないが、生き方はある程度選択できるとすれば、良い生き方を選択したいと思う。

ただ一から良い生き方をするのは大変だから、デフォルト(初期設定)フォームとして宗教という物語を選択する方法もあるな、などと考えながら本を閉じた。

 

 

 

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