今月(11月)初めに若い女性達と話をしていた時、彼女たちの会社で「英語教育のために若い男性社員をフィリピンのある島(おそらくセブ島)に缶詰にして英語漬けを図る」研修を行うということが話題になっていました。この会社はみずほGの中のある会社なのですが、私はその時釈然としないものを感じていました。
その釈然としないものはネパールから帰国する途中で明らかになってきました。それは「外国の島の中のホテルかどこかに缶詰にして研修するなんてあまり意味が無い。缶詰にするならセブ島であろうが箱根の山奥の研修センターでも変わりはない。外国に行くなら研修では外に出すべきだ。それも一人で出すべきだ」という思いでした。
例えば「半月ほどネパールの街や農村あるいは簡単なトレッキングルートを歩く研修」というのはセブ島のホテルでの缶詰研修よりはるかに有効だと思います。
ホテルでの研修はゴルフの練習場のしかも狭いカゴの中でボールを打っているようなもの。それに比べてネパールの野外旅行は本番のゴルフ場です。ニューヨークやロンドンでミュージカルやオペラを観たり、高級レストランで外人さん相手に優雅に食事を楽しむのを一流ゴルフ場に例えれば公設の河川敷コース程度ですが。
ネパールの若者の7割程度は大学に進学しますし、英語は小学校から義務教育化されていますから大部分の青少年は英語を話すことができます。またトレッキングではネパール人以外にヨーロッパ人など数多くの外人と話をする機会に恵まれます。
そうすると色々なことがわかります。まず一口に英語といっても国の数ほどその違いはあるということです。アメリカ人やイギリス人の英語だけが正しい英語、という時代は過ぎつつあることを実感できるでしょう。次に世界には色々な勤務形態や休暇制度があり、人々は求めるライフスタイルに合わせて色々な働き方を選択していることがわかります。それが分かると価値観が変わります。
もっともこのような提案をしても、乗ってくる会社や人事担当者はほとんどいないと思います。
やらない理由は簡単です。
「英語もろくに出来ない若者を一人で海外に出したら何が起きるか不安」・・・・一人前の大人になって一人で旅に出すことが不安なような人物なら缶詰研修してもものになりません。
「具体的な成果の測定ができない」・・・・・直ぐ測定できるような研修効果は長続きしません。その人物の深い部分にインパクトを与える研修こそ重要な研修なのです。
「価値観が変わって転職されては困る」・・・・それくらいになる人物なら役に立つ人材です。慰留して活躍の場を与えてください。
私が若くて研修担当者であればこんな研修を実施してみたいな、と思いました。
小さな失敗を繰り返しながら肌身で学んだことは長く身につくのですが、机の上で学んだことはすぐ抜けてしまう、というのが私の実感ですから。
11月15日快晴。6時過ぎに起き出してアンナプルナⅠ峰に朝日が指すのを待つ。トイレの床が凍って滑りそうになった。推定気温はマイナス5度だ。
午前6時半頃アンナプルナⅠ峰が黄金色に輝き始める。至福の一時と言いたいがかなり寒い。激しい動きをすると呼吸が少し荒くなったので、4,100mの高度の影響は少しあるのかもしれない。ただし頭痛などはない。
7時33分下山開始。8時30分マチャプチャレベースキャンプ通過。
ロッジの向こうにアンナプルナⅢ峰の美しい姿が見えた。
11時25分ヒマラヤンホテル到着。昼食。12時10分出発。13時55分ドバーンDobhan2,520m到着ここで宿泊。
11月16日 7時45分にドバーンを出発。バンブー付近までくるとかなり暖かく感じた。
ここから見るマチャプチャレは双耳峰が「魚のしっぽ」に見える。
11時7分シヌワSinuwa2,360m到着。昼食。ここでKさんという日本人単独トレッカーとであった。Kさんは73歳。広島大学山岳部のOB。12月上旬までのビザを有効に使ってのんびりとトレッキングを楽しみたいとのこと。12時30分シヌワ発。
今夜の宿泊地チョムロンとの間にはチョムロン川が流れていてこれを越えるために大きな下降と登り返しを強いられた。
14時チョムロン到着。チョムロンからは目の前にアンナプルナ南峰7,219m(左)とヒウンチュリHiun Chuli6,434mが見える。二つの峰から降りてくる氷河から冷たい風が吹いてくるのでここは標高の割には寒く感じるところだった。
夜アレルギー性鼻炎(寒気にふれるとくしゃみがでる)と風邪のため食欲減退。
ガイドが呉れたSanchoという水薬をハンカチに垂らして鼻にあてて寝たらかなり良くなった。Sanchoはメンソレータムのような感じだが刺激はもっと強烈だった。
11月17日快晴。最後の宿泊地ガンドルクGhandruk1,940mを目指す。ガンドルクからしばらく進むとジヌーから登ってくる道と出会った。数日前登ってきた道だ。ここを右折し山の斜面をトラバースしてキムロン川Kimrong Kolhaまで下るのだ。
牛の群れを追い越しながら先を急ぐ。ヒマラヤ桜が綺麗に咲いていた。ネパールでは桜は春と秋に2回咲くという。
ようやくキムロン川に着いた。ここからガンドルクまで標高400mの登りがこのトレッキング最後の大登だった。
14時40分 ガンドルク到着。ここはグルン人の村落として有名なところだ。休憩後ガイドと一緒に仏教寺院Monasteryとグルン博物館を観に行った。Monasteryは通常修道院と訳されるが、ネパールの山岳地域ではMonasteryは仏教寺院を指し、Templeというとヒンズー寺院を指しているようだ。博物館前で撮った写真。トレッキングがほぼ終わったので皆の表情が和んでいる。
ところが宿に帰ったところ、旅行会社の社長から電話があり、「明後日19日はネパールの総選挙で反対派が大規模なストライキを実施する予定で交通機関が止まる。明日もストライキがあり、ツーリスト以外の足は止まりそうだ。とにかく急いでカトマンズに帰らないと帰国便に遅れる可能性がある」という。
ガイドやロッジの主人とあれこれ相談したが、とにかく朝一番でジープがでるキムチェKimche1640mまで下りてジープを捕まえるのが一番ということになった。この日は恒例に従い、ガイドとポーター(普通はポーターは呼ばないがガイドの弟なので参加)と一緒に食事をした。
11月18日快晴。7時30分にロッジを出てキムチェまで駆け足でくだった。キムチェには40分後の8時10分頃到着。通常トレッキングルートを歩くときは「ビスターリ、ビスターリ(ネパール語でゆっくりという意味)」と声を掛け合うが、この日は「チト、チト(急いで)」ベースだった。
ジープはタクシーが来るナヤプルNayapulまで5千ルピーだが良いか?とガイドが聞く。OKと返事。これでほぼ無事ポカラ空港に行き、午後1時30分の飛行機に乗れる目処が着いたと一安心。
9時10分ナヤプル到着。ナヤプルは英語でいうとNew bridge。フェディとともにアンナプルナ周辺トレッキングの拠点になってる。
ガイドが「ここで昼飯を食え」という。9時過ぎだから早いというと、予算がタイトで飯の高いポカラでは昼飯代が出ないという。仕方がないからドーナツを食べることにした。
ガイドの話ではストライキでバスが止まると彼等にはポカラからカトマンズまで戻る交通手段がない。旅行会社がストによる被害の補償をしてくれることもないようなので、少し気の毒になった。10時前にチャーターしたタクシーに乗り40km離れたポカラ空港には11時過ぎに到着し、1時半過ぎのフライトでカトマンズに戻った。
こうして私達の9日間にわたるアンナプルナ内院トレッキングは予定どおり無事終了した。
11月12日快晴。チョムロンにこの先不要な荷物をデポした我々は9時55分に出発。チョムロンからシヌワSinuwaに向かう道はチョムロン川Chhomrong Kholaを渡るため300mほど高度を落とした。「ここを帰りに登り返す時は辛いだろうなぁ」と思いながら。
11時10分シヌワ到着。シヌワといってもかなり広くここはいわば下シヌワである。ランチ。
写真左上上部の見える集落がチョムロンだ。ロッジの直ぐ下では牛を使って畑を耕す人が見える。同行のN」さんが「ここでは耕す前に種を蒔いてそれから耕すんだ」と感心していた。本格的な家庭菜園に取り組んでいるNさんの観察眼の鋭さに敬意を表した。
12時10分シヌワ発。ここからは多少登り下りはあるものの比較的高度差の少ない道を歩き最後は少し下ってバンブーBamboo 2,310m到着。その名のとおりこの地には竹が多く生えていた。到着時間は14時37分。
11月13日快晴。8時5分 バンブー出発。両側の山が高くそびえ日が指すのが遅い。今日から本格的に高度を上げていく日だ。11時7分ヒマラヤホテルHimalaya到着。約1時間の昼食。手許のTrekking in the Nepal Himalayaを読んでみると、ヒマラヤホテルの手前に小さな寺(Baraha Temple)があり、これより上部に卵や肉を持って上がらないのが土地の習慣と書いてあった。だが現実は肉はないが卵料理は作られていた。押し寄せるトレッカーの前に伝統は押し流されているのだろう。
12時10分発。
今日の宿泊地デオラリの手前では左岸が絶壁となって迫ってくる場所がある。ここは実は新雪が降った後は雪崩がでることで有名なところだ。雪崩は英語でAvalanche。雪崩の通り道はAvalanche Trackである。この言葉はアンナプルナ内院ルートをトレッキングする人には是非覚えておいて欲しい言葉だ。降雪時にはかなり慎重な対応が必要なところで、ガイドは降雪時はルートは右岸岩壁沿いの道を離れてモディ渓谷の上を歩く(恐らく水は雪の下)と言っていた。13時45分デオラリDeurali着。
11月14日快晴。今日はアンナプルナ内院まで登る日だ。8時10分デオラリ発。10時35分マチャプチャレベースキャンプMacchapuchhre Base Camp(MBC)到着。ほぼコースタイムの2時間と同じペースだ(MBCと一口にいっても広いのでどこを起点にするかで時間は変わる)。お茶を飲みアップルパイを食べて約50分の休憩をとった。思えば今回のトレッキングでは昨年のランタン谷に較べてほとんどお茶の時間を取っていない。その分頑張って歩いているのだ。だが富士山頂上を越えるこの高さでは高度順化のために少し休みを取った方が良い。
「高度順化する」ことを英語でacclimatizeという。警告標識に出てくるだけでなく、トレッカー同士の間でもよく使われる言葉だ。なお「高山病にかかった」というのはI have altitude sicknessである。
11時15分MBC出発。ここからアンナプルナベースキャンプAnnapurna Base Camp(ABC)に向かう道は大きく開けた谷の中を緩やかに登っていく。前方左側にアンナプルナ南峰が見えるが右手のアンナプルナⅠ峰には雲がかかっていた。
13時20分ABCの立て札到着。10分ほど登って今日のロッジ到着。一休みしてから付近を散策した。ロッジの右手にはアンナプルナⅠ峰から押し出された氷河が深く大地をえぐっていた。
東に目を向けるとマチャプチャレが輝いていた。
夕刻マチャプチャレが夕日に燃えていた。
11月10日今日も快晴。
8時15分にホテルを出て、タクシーでフェディPhediに到着。8時45分。登り口は道路を渡った向かい側だ。登り口の標高1130m。9時トレッキング開始。丘の上のダンプスDhampusまで標高差400m以上の急な石段を登った。
トレッカー達は中途で一息を入れている。その向こうにポカラ盆地が見える。
11時30分デオラリ到着。デオラリからはしばらくジープが通行できる道を歩いた。ジープを使うとフェディからデオラリへの急登を回避できる。デオラリの北端のロッジで昼食。
ランチを食べたロッジは洒落ていた。部屋をのぞくと各部屋にトイレとシャワーがついていた。
これであれば一般の人も安心して泊まることができる。ロッジの整備は進んでいる。
ランチの後気持ちの良い放牧地を通ってポタナへ。
14時1日目の宿泊地ポタナPothana1,950m到着。午後は山に雲がかかっていた。6時に夕食を食べて早めに寝た。
11月11日快晴。ロッジから少し北に向かって歩くと雪山が見えた。
右がマチャプチャレ、左がアンナプルナ南峰、真ん中の低い山がヒウンチュリである。
8時15分ロッジ発。道はモディ渓谷の左岸を緩やかな緩やかな上り下りを繰り返しながら、ランドルンLandruk1,565mに向かっていった。ランドルン到着11時25分ランチ。12時40分出発。
ニューブリッジでモディ渓谷を渡った。この付近がこの日のルートで一番標高が低いところで
1,332m。橋を渡った後はこの日の宿泊場所ジヌーダンダJhinudandaまで急登。到着は15時35分だった。宿泊したロッジはHotel Namasute & Restraunt。固有名詞を紹介したが、このあたりのロッジの違いはそれほどないと考えて間違いはない。
11月12日 7時40分出発 ここからタウランTaulungまで標高差400メートルを鉄砲登りに登った。タウランの街からタウランの街へは緩やかな降り。9時20分チョムロンChhomrong 2,170m到着。ここのロッジにこれより上部で不要な荷物を預けた。帰路はここに泊まり、ここから右に出てガンドルクに向かうのだ。
穀物と思われる荷物を運ぶ馬の一群を見た。