先日フィットネスクラブで自転車を漕ぎながら、日経アソシエを読んでいたら「信頼できる人」について記事が出ていた。「信頼できる人」の基準として「口が堅い」とか「裏表がない」など幾つかの項目が上がっていたが、情報技術が進展している現代で信頼できる人の最低基準は「IT基盤を実装している」ことだ、と私は考えている。
「IT基盤の実装」というと大袈裟だが、一つは①どこにいても、つまり会社にいても自宅にいても、国内旅行中でも海外旅行中でも、コンタクトが取れる仕組みを作っていて、それを必要な相手先が知っているということだ。
次に②どこにいても仕事やその他のことで迅速な意思決定を行うために必要な判断材料、つまり情報にアクセス手段を揃えていることだ。情報には三種類あると私は考えている。一つはインターネットや新聞・本などで無料で広く公開されている情報である。この情報の収集能力は主に検索エンジンの使い方にかかっている。次に自分の外側にある情報だが「有料」である場合だ。有料には2通りあるだろう。一つは業者によって提供されるもので対価がはっきりしているものだ。次は特定の個人や組織が持っている質の高い情報で、情報の対価は明示されていないが、何らかの対価~たとえば見返りとなる情報~を必要とするものだ。この情報の収集には広い意味の金払いの良さが決め手だろう。ケチな人のところに情報は集まってこない。敷衍していうとケチな人間は信頼される人物にはなれない。
最後の情報は自分で生み出した情報だ。この中には言葉や文章で表現しにくい情動知的なものと、文章化できる言語知的なものがある。この情報を蓄積し、どこにいても簡単に引き出す仕組み~たとえばエバーノートなど~を実装しているかどうかが情報力の決め手になる。
最後にこれらの情報を駆使して短期間に相手が求める答えを提供する能力である。仕事であれ趣味の世界であれ、ボランティア活動であれ、とにかくこれが信頼の基本になると私は考えている。
「あの人に連絡を入れたのだが返事がない」「相談しても答えが抽象的で具体的な判断材料にならない」ということであれば、たとえその人の人柄が良かろうとも信頼できる人ではない、と私は考えている。
IT基盤を実装した人が総て信頼できる人物かというとそうでない場合もある。つまり現在の社会においてはIT基盤の実装は信頼できる人間の「十分条件ではないが必要条件」ではあるのだ。