金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

「信頼できる人」の最低基準はIT基盤の実装

2013年11月27日 | デジタル・インターネット

先日フィットネスクラブで自転車を漕ぎながら、日経アソシエを読んでいたら「信頼できる人」について記事が出ていた。「信頼できる人」の基準として「口が堅い」とか「裏表がない」など幾つかの項目が上がっていたが、情報技術が進展している現代で信頼できる人の最低基準は「IT基盤を実装している」ことだ、と私は考えている。

「IT基盤の実装」というと大袈裟だが、一つは①どこにいても、つまり会社にいても自宅にいても、国内旅行中でも海外旅行中でも、コンタクトが取れる仕組みを作っていて、それを必要な相手先が知っているということだ。

次に②どこにいても仕事やその他のことで迅速な意思決定を行うために必要な判断材料、つまり情報にアクセス手段を揃えていることだ。情報には三種類あると私は考えている。一つはインターネットや新聞・本などで無料で広く公開されている情報である。この情報の収集能力は主に検索エンジンの使い方にかかっている。次に自分の外側にある情報だが「有料」である場合だ。有料には2通りあるだろう。一つは業者によって提供されるもので対価がはっきりしているものだ。次は特定の個人や組織が持っている質の高い情報で、情報の対価は明示されていないが、何らかの対価~たとえば見返りとなる情報~を必要とするものだ。この情報の収集には広い意味の金払いの良さが決め手だろう。ケチな人のところに情報は集まってこない。敷衍していうとケチな人間は信頼される人物にはなれない。

最後の情報は自分で生み出した情報だ。この中には言葉や文章で表現しにくい情動知的なものと、文章化できる言語知的なものがある。この情報を蓄積し、どこにいても簡単に引き出す仕組み~たとえばエバーノートなど~を実装しているかどうかが情報力の決め手になる。

最後にこれらの情報を駆使して短期間に相手が求める答えを提供する能力である。仕事であれ趣味の世界であれ、ボランティア活動であれ、とにかくこれが信頼の基本になると私は考えている。

「あの人に連絡を入れたのだが返事がない」「相談しても答えが抽象的で具体的な判断材料にならない」ということであれば、たとえその人の人柄が良かろうとも信頼できる人ではない、と私は考えている。

IT基盤を実装した人が総て信頼できる人物かというとそうでない場合もある。つまり現在の社会においてはIT基盤の実装は信頼できる人間の「十分条件ではないが必要条件」ではあるのだ。

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アジアのローン市場、史上最高規模に拡大

2013年11月26日 | 金融

WSJによると米ドル、ユーロ、円によるローンが急増し、債券発行額に迫る勢いを見せている。今年の外貨建て債券の発行額は1,410億ドルで外貨建てローン1334億ドルを上回っているが、デーロジック社によるとローン実行額は前年同期の5割増し状態だ。

外貨建てローンの資金使途は設備投資やクロスボーダーのM&A。クロスボーダーM&Aの中には中国のShuanghai International Holdingによる世界最大の豚肉生産・食肉処理会社スミスフィールド社(米国バージニア洲スミスフィールド)の買収47億ドルなどが含まれる。

外貨建てローンを出している銀行ではスタンダードチャーター銀行がトップでシェアは7%、次がANZ銀行の6.2%で三番手が三菱UFJファイナンシャルGの5.6%だ。

余談であるが私が親しくしているある日本の上場企業の社長から「最近取引のない三菱UFJさんからアプローチを受けているけどどう思う」と軽い相談があった。「目先の資金需要はなくても三菱さんの情報力は期待できますからお付き合いなされば」と答えておいた。

もっとも債券発行の幹事会社になり、引き受け債券を市場で売りさばく業務に較べてローンは信用リスクをとるのでリスクは高い。中国や韓国で不良債権が急増していることを見るとアジア企業向け融資がlucrativeとはいえないかもしれない。

だが世界的に見るとアメリカ・カナダや欧州全体の中期的な経済見通しが暗いのに較べてアジアの経済見通しは相対的にポジティブだという見方が多い。

大手銀行がアジア企業向けの融資を増やしているということは、グローバルに見て資金運用等の収益機会が減っていることの証左なのだろう。

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トレッキング、次回はもっとgoogle earthを活用したい

2013年11月25日 | デジタル・インターネット

ネパールトレッキングのまとめを作りながら感じたことはGoogle Earthをもっと自由に使いこなせたら、もっとビジュアルで訴求力のあるレポートをまとめることができるのではないか?という思いだ。

Googleearth

写真は自宅PC上でGoogle Earthを開きトレッキングルートや泊まった場所をプロットしたものだが、すでにGoogle Earth上に埋め込まれているポイント(撮影した画像とリンクしている)が画面に表れて煩わしい。また作成したポイントやルートを他のデバイス上のGoogle Earthと共有する方法がわからない。

色々わからないことだらけなのだが、少し落ち着いたらGoogle Earthの使い方をもっと勉強してみようと思う

(どなたか簡単に勉強できる方法があれば教えて下さい)

Google Earthを活用することができると初めてトレッキングに行く人にもイメージの湧くプレゼンが出来ると思う。その利用範囲はかなり広そうだ。

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来年のグローバルトレンド~ピュー・リサーチ・センターから

2013年11月25日 | 国際・政治

半月ほど余り新聞やテレビを見ずにネパールの山奥を歩いていると市場の動きとズレが出ていてまだあまり相場関係のニュースを見る気がしない。幸いなことに株高傾向なのでボーとしていても今のところ良さそうなので助かる。

足慣らしのためにピュー・リサーチ・センターのHPを見ていたら、専門家がランク付けした来年の10大トレンドという記事がでていた。以下引用する。

1.中東と北アフリカにおける社会的緊張の高まり

2.所得格差の拡大

3.持続する構造的な失業

4.高まるサイバースペース(コンピューター空間)への脅威

5.地球温暖化問題への不対応

6.経済政策に対する信頼の低下

7.指導層の価値観の欠如

8.アジアにおける中間層の拡大

9.巨大都市圏の重要性の伸張

10.オンライン上の誤報の拡大

幾つかの点について感じるところを述べたい。

まず「持続する構造的な失業」の問題。失業は北米や欧州では人々の最大の関心事だが、それ以外の地域でも大きな問題だ。IT技術の発展と経済活動のグローバル化に失業の責任があるという意見もあるが、IT技術の発展により一つの作業プロセスや一つの産業が衰退しても、新しい産業が起きれば雇用需要は発生する。

例えば米国では失業率は全体では8.5%(ピューの記事の数字を採用した。現在はもう少し低い)だがITセクターについて見ると3.5%に過ぎない。また欧州では失業率は高止まりしているが、ヘルスケア部門では人材不足に陥っている。

日本についてもヘルスケア部門が人材不足なのはご承知のとおり。この産業別による労働需給の是正にどう取り組んでいくか?というのが各国の政治家や事業家が考えるべき大きな課題だ。

だが各国の指導層は「価値観が欠如している」と指摘されている。多少指導層に同情的な意見を述べると、色々な国において価値観の多様化が起きている。たとえば「尊厳死を認めるかどうか」という問題を世論調査すれば各国でさまざまな意見がでるはずだ。

色々なモノゴトに対する情報はサイバー空間に溢れ、良く言えば誰もが簡単にちょっとした専門家になることができる。その一方国として社会として一つの問題について意見を統一することが難しくなっている。

そのサイバー上のツイッターなどには誤報が流れそれが大きな社会的混乱を引き起こす可能性を秘めている。

★   ★   ★

好き勝手なことをいうと、年に何日か何週間か「情報断食」を行って、自分でものを考える修行をすることも悪くはないと思った。それによりサイバー空間を飛び交う色々な情報の中から本当に自分に必要なもの、正しいと思うものを選択する目を養う必要があるのではないか?と感じた次第だ。

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発展途上国での写真撮影にはご注意を

2013年11月24日 | 旅行記

この前のネパールトレッキングで小さなハプニングがありました。

私が少し先行していた時、同行のNさんが小走りでやって来て「子どもに写真代を500ルピーだと迫られて困っている」というのです。私は少し前からNさんがやたらと現地の子どもや大人たちの写真を撮っていることに多少の不安と微細な違和感を感じていたものですから、少し事態を静観しようと思っていました。だって500ルピー(邦貨で500円)は法外な要求ですが、子どもにも肖像権はありますから、大人が黙って写真を撮って良いというものではない、と私は思ったからです。

Nさんが多少苦労しながらでも自分で問題を解決した方が薬になる、と思ったのですが、結局現地人ガイドが子どもを追い払い問題は解決しました。

その時私は40年前に自分が経験したある苦い思い出を思い出していました。

★   ★   ★

それはまだ私が大学生だった頃のこと。カラコルムの未踏峰遠征の後私は一人でパキスタンの中部を旅していました。それはモヘンジョダロ遺跡近くの鉄道の駅での出来事です。パキスタンの鉄道は時刻表通りには走らない。だから乗客特に下級車両の乗客は生活必需品を担いで列車に乗ります。その風景が興味深くカメラを向けたところ、ある男性から私は注意を向けました。

「君は好奇心から列車待ちの風景を撮ろうとしている。だが撮るべきではない。君の住む日本に比べると我々の生活は劣っている。だが我々は一生懸命努力している。我々は自分たちに醜い部分があることを知っている。そこは知られたくないし写真に撮ってほしくない。」というものでした。

私は自分の浅はかな思いを素直にわびました。

★   ★   ★

時は流れました。この時のエピソードを思い出すことは少なくなりましたが、私の心のどこかに「世界の人々はそれぞれの発達段階を精一杯に生きている。上から目線でものを見てはいけない。それは神様が人間に、いや総ての生物の発展のために与えてくれたdiversity(多様性)の結果なのである。」という思いは生き続けました。

ここでいう神様はキリスト教の神様や神道の神様を越えた「宇宙神」あるいは「生命の根源」という意味です。我々生き物は環境変化に対応できるように、多様化するような仕組みが内在している、私は思うのです。

平野を好む民もあれば山地を好む民もある。乾燥したステップを好む民もあれば、湿潤な森を好む民もいる。それによって地球環境が変化しても人類全体としては生き伸びることができるようになっていると私は思うのです。

★   ★   ★

話が長くなりました。

ネパールのような発展途上国を歩いていると、我々の生活習慣と違う暮らしぶりを見かけついシャッターを切りたくなります。だがその前にちょっと考えてみましょう。

我々にその権利はあるのでしょうか?

もしあなたが日本の自宅の庭で何かをしている時誰かにいきなりシャッターを切られたらどんな氣がしますか?

まして見られたくないと思っているような行為を写真に撮られたとするとどんな氣がしますか?激しい怒りを覚えるのではないでしょうか?

「興味本位」というのは、私は相手のHumanityを尊重した態度ではない、と思うのです。

★   ★   ★

我々はDiversityということをもう少し突っ込んで考える必要があるでしょう。そうすると今の先進国の優位性は長い生物や人類の歴史の中のホンの2,3百年の現象に過ぎないことが見えてきます。我々はもう少し謙虚になるべきなのでしょう。

村人や子どもの写真を絶対に撮ってはいけないとは言いませんが、シャッターを切る前に「自分はなぜその写真を撮ろうとするのか」と問い、もし必要であればその理由を告げて相手に了解を求める謙虚を持つ必要があると思います。

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