午後は駒込の文京区勤労福祉会館へ出かけて「SFファン交流会」(略して「ファン交」)の小松左京さん追悼企画。
小松左京研究会のメンバーだったとり・みきさんと鹿野司さんが身近に見た小松さんや、それぞれが考える小松さんの特質について語られました。
小松左京研究会のメンバーだったとり・みきさんと鹿野司さんが身近に見た小松さんや、それぞれが考える小松さんの特質について語られました。
最初は2人の小松左京体験から。どのようにして小松左京作品と出会い、小松左京研究会へ入ることになったのか。その後、生身の小松さんと付き合うようになってからの話。
私の印象に残ったのは、とり・みきさんの言葉では、「小松さんは入り口となって、そこから世界を広げてくれる作家だった」。だから、今ある世界は小松左京ワールドになってしまっていて、ご本人が亡くなられてもいなくなった気がしないとのこと。
鹿野さんは「小松さんは落ち着きなく次々と好奇心を働かせてゆくタイプの人間。そうして目をつけた事柄に関する洞察力が凄かった」と見ておられる。
そうなんですよね。あれもこれも旺盛に関心の対象としていて、しかも、何か根本的なことと、それらの事柄がきちんと対照されていて、大事な意味をつかんでいたように思います。
SFを書くにあたっても、1個の小説世界で完結しない、何かとんでもないこととの関連で物語を形づくろうとしていたのではないでしょうか。そして、隠されたそのテーマは終始一貫していたように思えるのです。
会の最後には、機材の関係で見ることができるかどうかやきもきさせられていた、とり・みきさん編集の小松さんビデオ。1991年に大阪で催された小松さんの還暦記念パーティー用に作られたもので、テレビに出た小松さんの映像や、映像化された小松作品がコンパクトにまとめられ、小松さんの足跡を振り返ることができました。
モンゴルの草原ではラグビーのタッチダウンまでやって見せてたんですねえ。なんというノリの良さ。中学時代のあだ名であった「浮かれ」の精神が、ずっと抜け切れないようなところがあったのでしょう。