昨夜は新宿文化センターにて「筒井康隆自作を語る#3 『虚人たち』『虚航船団』の時代」。
出版芸術社〈筒井康隆コレクション〉の奇数巻が出るごとに行われるこの催しも3回目。今回は『虚人たち』が〈海〉に連載された1979年から、『旅のラゴス』が〈SFアドベンチャー〉に連載された1984年までが対象でした。
冒頭、筒井さんは先日亡くなられた蜷川幸雄さんの思い出に触れ、「文学の分野で気にした相手はいなかったが、蜷川さんは競争相手だと意識していた」。演劇という接点があり、年齢的にも近い(筒井さんは1934年、蜷川さんは翌35年生まれ)こともあってのことでしょう。
本題に入ってからは、中央公論社〈海〉の名編集長・塙嘉彦さんのこと、戯曲執筆のこと、古い映画のことなど、興味深い話ばかりでしたが、中でも日本SF大賞創設の裏話は貴重でした。
筒井さんによるSF大賞創設の経緯はつぎのとおり――
- 1979年に発表された大江健三郎『同時代ゲーム』を読んでぶっ飛んだ。こんなに面白いものが、なぜ評判が悪いのだろう。
なんとかするためには、『同時代ゲーム』に賞をさしあげればいいんじゃないか。SFの賞を作ろう。
そう思い立って、すぐ、同じホテルに泊まっていた小松左京さんのところへ行った(当時、筒井さんはSF作家クラブの事務局長、会長が小松さんだった)。話を聞いた小松さんは、「そりゃ、いい」ということで、徳間書店の徳間康快社長に話をし、実現にこぎつけた。
しかし、その時、小松さんの頭に『同時代ゲーム』のことは入っておらず、第1回の選考委員たちの賛同も得られなくて、堀晃さんの『太陽風交点』に決まった。今から思えば『同時代ゲーム』にしときゃ良かった。
最後の言葉は、その後の裁判沙汰のことを言っているんですね。
ということで、日本SF大賞は、筒井さん発案、小松さん実現ということだったそうなのです。
以前、ウィキペディアの同賞の記述がおかしいと文句をブログで書いたことがあり、その後、ウィキペディアは書き直されましたが、元の内容もあながち間違いではなかったんですね。悪いことをしました。
あと、可笑しかったのは『朝のガスパール』を新聞連載した際、挿絵の真鍋博さんが登場人物の特徴を逐一尋ねてくるので、「これは山口智子、これは五十嵐淳子、これは谷啓……」と教えたというエピソード。絵を見れば、その結果は一目瞭然だそうです。
コレクションの第7巻にはこの挿絵も再録されるということで、今から楽しみ。