惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

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2017-08-18 21:38:40 | 音楽

 最高気温 28.3℃(隣町アメダス)。とても蒸し暑かったのですが、今日も市民プール行きは自重しました。たぶん、水から上がったらとても体が冷える。

 音楽とメディアの歴史について、個人的に、おさらいしています。さて、事業を開始したレコード会社はどのようなものを録音して売り出したのでしょうか。

 エジソンは、発明したフォノグラフを、音楽の録音・再生よりもむしろ、言葉の記録用と考えていたといいます。事務機器のひとつと捉えていたらしい。
 そのためノース・アメリカン・フォノグラフ社の経営はうまくゆかず、唯一、音楽ソフトの充実を図った子会社コロムビア・フォノグラフ社が順調で、結局、親会社を吸収することになりました。コロムビアでは、創業時、スーザが指揮する合衆国海兵隊音楽隊と専属契約を結び、マーチやポルカ、ワルツなどを精力的に録音したといいます。

 グラモフォン社の方は、昔からクラシックタイトルの充実が有名ですね。またビクターは、グラモフォンのクラシックに加えて、アメリカで盛んになったダンスミュージックやジャズなどを積極的に扱うようになったそうです。

 こんなことを考えるきっかけとなったNHK・FMの特番「ポピュラーミュージックヒストリー」は、ジャズレコード発売100年を記念しての企画でした。つまり、1917年に最初のジャズレコードが発売されたわけですね。それはこの曲でした → 「Dixie Jass Band One Step」。演奏はオリジナル・ディキシー・ジャズ(Jass)・バンド。B面は「Livery Stable Blues 」

 身内に関するお知らせです。

 森下唯「オール・アルカン・ピアノ・リサイタル vol.4」が、11月24日(金)午後7時より調布市くすのきホールにて開催されます。
 本日よりチケットが発売になりました。全席指定で、一般3800円(当日4000円)、学生2000円、一般ペア7000円となっています。
 詳しくはこちらをご覧ください。

 よろしくお願いします。


レコード会社

2017-08-17 21:45:58 | 音楽

 対馬でカワウソが生息しているとのニュース!
 うれしい。高知で「日本最後のカワウソ」が目撃された後、絶滅したとされているニホンカワウソであれば、さらにうれしい。

 最高気温は 28.2℃(隣町アメダス)まで上がりましたが、市民プールへ行けるほどではありません。
 庭で白菜の種播き用の土を調合しました。どんな土にすれば良いのか、まだよくわかっていません。ピートモス、赤玉土、堆肥などを適当に混ぜ合わせてみました。

 音楽のメディアの勉強。今日はレコード会社です。

 円盤型レコードを発明したエミール・ベルリナーは1895年、フィラデルフィアにベルリナー・グラモフォン社を設立、円盤レコードの事業に乗り出しました。
 1897年には英国にザ・グラモフォン社、翌98年にはドイツにドイツ・グラモフォン社が設立され、ベルリナーのレコード事業は着実に進展します。

 一方、エジソンのフォノグラフもすぐに撤退したわけではありません。
 ベルリナーの会社設立よりも前、1888年にノース・アメリカン・フォノグラフ社という会社がつくられ、録音・再生機器の事業を始めています。この会社はエジソンのフォノグラフと、グラハム・ベルらが開発し、フォノグラフより性能の良かったといわれる蝋管型蓄音機「フォファグラフ」の両方を扱っていました。
 同社は紆余曲折の後、コロムビア・フォノグラフ社となり、ベルリナーが創業した1895年には、英国、フランス、ドイツに支店を置いてエジソン型蓄音機の普及に力を注いだのでした。
 しかし、円盤レコードの勢いには逆らえず、同社は1901年にベルリナーのグラモフォン社と協議して円盤レコードも出すことに方針転換(発売は1902年から)、結局、円盤レコードのメーカーとなってゆきます。

 こうして、グラモフォンとコロムビアという2つのレーベル(とはつまりレコードの中心に貼るラベルのことです)が誕生します。

 ただし、もうひとつ、ビクターというレーベルにも触れておく必要があります。

 グラモフォン陣営の本家アメリカでの会社は、先に書いたようにベルリナー・グラモフォン社でした。しかし、子会社との内紛が起きて裁判沙汰になり、「グラモフォン」という名詞は普通名詞なので社名に使うことができないという判決が出たのです。その結果、1899年、ベルリナー・グラモフォン社から「グラモフォン」が消えてしまいました。
 内紛の際、会社を去ったエルドリッジ・R・ジョンソンという人(グラモフォンのモーターを担当していた技術者です)が自分の会社を起こし、1901年にビクタートーキングマシン社と名付けます。
 この会社が、結局は、ベルリナーのレコード事業を引き継ぎ、ヨーロッパの2つのグラモフォン社と提携することになります。つまり、ビクターとグラモフォンは同属会社なのです。それで、犬が蓄音機のラッパに耳を傾けるレーベルも同じだったりするのです。

 以上、初期のレコード業界、2大陣営のまとめでした。


グラモフォン

2017-08-16 21:22:37 | 音楽

 一日、小雨が降って肌寒ささえ覚えました。日中の気温は、高くて21℃前後(最高気温は日付が変わったばかりの午前0時過ぎでした)。

 ニュースでは、ゾウガメ「アブー」発見の話題に心がなごみました。灯台もと暗し、に近かったかな。

 さて、今日も録音・再生の話です。

 エジソンの蝋管式「フォノグラフ」を駆逐した円盤型レコードを発明したのは、ドイツ生まれのアメリカ人エミール・ベルリナー(1851-1929)でした。
 エジソンのライバルだったグラハム・ベルのもとで働いたこともあるベルリナーは、1888年、蝋管では針の上下運動で記録していた音声信号を、左右の運動に変換し、それを円盤に記録する「グラモフォン」を開発します。平らな円盤に針で記録された音声信号は、エッチング技術を使って、版画のようにコピーを量産でき、これがレコード商業化の大きな要因となりました。
 またレコード盤に録音・再生する際、円盤の中央付近は、針が溝をなぞる速度が遅くなるため音質が劣化します。そのため、中央に、使用できない円形部分が出来ますが、ここにラベルを貼ることで文字による説明を付け加えられたのも良かったのでしょう。再生専用にはなりましたが、これで商品としてのレコードはほぼ完成したのでした。

 グラモフォンのサンプルは、グリーグが1903年に自作自演した「トロルドハウゲンの婚礼の日」を。

 フォノグラフと違って、はっきりと音楽が聴き取れます。グリーグさん、かなりテンポが速いですね。


フォノグラフ

2017-08-15 21:38:56 | 音楽

 録音の話の続きです。

 音声を記録・再生できる装置――蓄音機を発明したのは、いわずと知れたトーマス・エジソン。1877年に初号機を作り「フォノグラフ」と名付けたが、それは錫箔に音の溝を刻むものだった。
 その後、ライバルに刺激されて改良を施し、蝋管に記録するようになった。

 1888年12月2日、この改良されたフォノグラフで、ブラームスが自分の「ハンガリー舞曲第1番」を録音したといいます。
 この時の音がYoutubeで聴けるのです → 「Brahms Plays His Hungarian Dance No.1 (Excerpt), 1889 」

 再生は2回になっていますが、1回目が蝋管から直接、再生したもので、2回目は、かつてSPレコードにダビングされたものだとか。

 最初に聞こえる声の主もブラームス?
 ハンガリー舞曲は、かろうじてそれらしいメロディーラインがたどれるといったところですね。もともとは連弾曲なので、彼は自分で独奏用にアレンジしたようです。

 ノイズの中に音楽らしきものがぶっつけられている感じの再生音を聴いていると、なんだか笑えてしまいます。
 でも、このあたりから発展してきて、今の録音技術があるかと思うと、感無量。


アナログレコード

2017-08-14 21:12:52 | 音楽

 ああ、そういえば「コンパクト盤」というのがあったなあ――と、思い出しました。

 アナログレコードは、78回転のSP盤が最初で、ビニール盤になってから、33と1/3回転のLP(ロング・プレイ)が1948年に発売、45回転のシングル盤は翌49年に発売されたということです。
 コンパクト盤というのは、シングル盤と同じサイズ(直径17センチ)でありながら、回転数はLPと同じ33と1/3で、片面に2~3曲収録。「ミニLP」という感じでした。
 LPは高くてなかなか買えないので、安いコンパクト盤で飢えをしのいでいたのです。私も何枚か、買ったなあ。

 あと、アナログレコードでは「ソノシート」ですね。ペラペラのビニール盤で割れにくく、雑誌の付録――というか、ソノシートにブックレットをくっつけて売ることが多かった。1958年にフランスの会社が開発し、翌年には日本でも朝日ソノラマなどが発売したそうです。
 これも、安くて曲数が多かったので、お小遣いで買うには手ごろでした。

 などと思い出したのは、このところ、楽曲とメディアとの関係を考えているせい(先週、聞いた「ポピュラーミュージックヒストリー」が刺激となりました)。
 メディアには、レコード、ラジオ、ジュークボックスなどがあり、そこに録音技術が絡む。これらは密接に関係しながら歴史を積み重ねてきたようです。この件については、もうしばらく関心が続きそう。