普通犬がしっぽを振るのであるが、目的と手段が逆転したり主客が転倒している状態をしっぽが犬を振ると言うことがあるらしい。自分について考えてみると私の写真趣味などがこのしっぽ犬(しっぽが犬を振るの省略形)に該当する。私が写真に力を入れだしたのは元気に山を登っている間に良い山の写真を撮りたいと考えたからだ。遠くの雪山などになるとまた登るということはありそうでもうないのかもしれない。つまり一期一会ということを考え始めた。だから印象を写真に留めたいと思い、50歳を過ぎてからは山の写真に力を入れだした訳である。ところが山の写真を撮る目的で始めた写真が次第に自己増殖して花や鳥、町の風景等の写真までフィールドが広がりつつある。つまり写真というしっぽが犬=僕を振り回そうとしているのである。
ところでデジタル一眼レフの時代になってカメラはオリンパス(E300)にした。理由はトータルの機材が軽いということ。カメラ本体も軽いし交換レンズも小振りに作られている。これはオリンパスがデジタル専用レンズを開発していることなどによる。
写真は私のオリンパス一眼レフと交換レンズや三脚・一脚などである。無論この程度の装備は本格的な写真マニアから見れば取るに足りない程のものであるが、私にとっては私を振り回す結構なしっぽなのである。つまりマクロレンズがあるから季節には花の細密な写真を撮りに行くことになり、望遠レンズ(及びテレコンバーター)があるのでコハクチョウが近くにくれば撮影に行こうとする訳である。これがしっぽ犬なのだ。
ところでしっぽ犬は悪いことなのか?ということを考えてみよう。実は人間大概何かに振り回されている。それは仕事であったり、子供であったり、恋人であったり、趣味であったりと様々なのだが。振り回されるから人は頑張るのである。もし振り回すしっぽが何もないとしたらそれは随分淋しいことではないか?
カメラに振り回され花の写真を撮るから花のことが知りたくなる。一つの花を知ればまた次の花を知りたくなる。そう、振り回されて良いのだ。人間なんて主体性云々などといったって所詮は色々なつながりや好奇心にぶら下がって生きている。でもたった一本のしっぽでは心もとない。そのしっぽが切れた時犬も元気がなくなってしまうだろう。
だから大切なことは立派なしっぽを何本か持つことじゃないか?なんてことを言いながら私は自分の写真趣味を上手くワイフに納得させるロジックを研究しているところである。