金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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旅の準備の楽しさ~芭蕉を訪ねて(2)

2006年09月06日 | うんちく・小ネタ

来週遅い夏休みを取って山形に行く予定だ。今年は2人の娘も9月に夏休みを取っている。今下の娘は台湾に行っている最中だし、上の娘は来週シンガポールに行く予定だ。少し暑さが和らいでから取る夏休みも悪くはない。

さて山形では前にブログに書いた立石寺の他、月山登山を楽しみにしている。

「奥の細道」で芭蕉はこう述べる。(六月)八日、月山に登る。・・・・雲霧山気の中に氷雪を踏んで登ること八里、更に日月行道(じつげつぎょうどう)の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身凍えて頂上に至れば、日没して月あらはる。

雲の峰いくつ崩れて月の山

私は月山には登ったことはないが、学生時代に同じ山形の朝日岳に登ったことがある。それは三面(みおもて)川という険谷を遡って朝日岳の稜線に出た数日の沢登だったが、草一面の稜線に立った時大雲海が日本海に広がっているのを観ていたく感動したことを覚えている。

芭蕉が何故奥の細道の旅に出たか?ということについて、研究者の間で色々な意見がある。例えばこの時期は源義経の500回忌にあたるので、義経を敬愛する芭蕉は平泉を訪ねたかったとか、歌枕が多く残るみちのくを旅し、西行など先輩詩人の足跡を訪ねたかった等々の解釈がある。しかし旅の目的を一つに限る必要はないだろう。

ところでこの月山は有名な歌枕ではない。それなのに芭蕉は何故息絶え絶えにまでなって登ったのだろうか?芭蕉は生涯これ程高い山に登ったことはないはずだが、月山には芭蕉を惹きつける何かがあったのだろうか?

それにしても「息絶え身凍えて頂上に至れば、日没して月あらはる。笹を敷き篠を枕として、臥して明くるを待つ。日出でて雲消ゆれば、湯殿にくだる。」という月山登山記は簡潔にして登頂の苦しみや感激が伝わる名文だ。

羽黒山・月山・湯殿山の出羽三山を巡る修験の道は、死と再生の疑似体験の道だという。日は生であり、月は死を示す。夏の入道雲が崩れ去った夕空にそびえる月山は静寂と死の世界の象徴である。その月山の頂上でビバーク(仮寝)をして夜の明けるのを待つ。それは生への回帰の象徴だ。降る先の湯殿山は湯の湧き出る女陰形の巨岩をご神体とするという。これは生の象徴だ。

語られぬ湯殿をむらす袂かな

湯殿山で見たことは形ってはいけないというが、これまた神秘的でかつなまめかしい感じがする話だ。

いずれにせよ出羽三山で死と再生の疑似体験をすることも芭蕉にとって奥の細道の大きな目的であったと私は考えている。

コメント
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