金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

何故「人財」が足りないのか?

2007年05月07日 | 社会・経済

”人財”は無論”人材”が正しい。先月終わり頃の業界紙ニッキンに「大手銀行で人財の育成が必要」という記事が出ていたので、敢えて”人財”とした次第である。記事はこういう。

  • 人材が恒常的に不足している
  • 「大胆なリストラで人員構成がゆがんでいる。その反動で、新卒を2千人-3千人規模で採用しているが中期的な人事戦略がもっと必要」(人材専門会社エグゼクティブ・サーチ・パートナーズの小溝社長)
  • 顧客の心を掴むための新たな知識や能力とは何か。たえず、追求する必要がある。リテール大競争時代を勝ち抜くには「人財」の育成と確保が絶対条件だ。

この程度のことは周知のことなので、現象面の解説は止めてもう少し本質的な問題を考えてみよう。それは「金融機関における人材需給のミスマッチ」である。実のところ「人”財”は不足しているが人の”頭数”はそれ程不足していない」というのが現状ではないだろうか?もっと平たく言うと役に立たない人間はいるが役に立つ人間はいないということだ。

  • 「貯蓄から投資へ」と時代は動いているが、平明な言葉で個人投資家に投資のポイントを語ることができる人員が少ない。私もたまに金融機関の窓口で株や投資信託を購入することがある(手数料の安いネットで扱っていないエマージングな商品がある)が、銀行の販売員にはろくでもない無駄口を叩いてセールスをしている気になっている人間が多い。たとえば私が「インドの投信を買う」というと「今のインドは何年前の日本みたいに成長過程にある」などと言う。そんなことは先刻承知であると同時にインドが日本と同じ軌跡を辿るという保証もない。むしろ知りたいことは「そのファンドの運用会社はどこに拠点をおいてどういう手法でリサーチを行なっているのか?」ということなのだが、正鵠を得た答は返ってこない。

話が長くなったが、銀行員の一つの特徴(しかも組織の中で評価される徳性!)は「大した内容もない話を水で薄めて長ったらしくする」という点だ。これは時間をたっぷり持っているお客さんには暇潰し的に歓迎されるかもしれないが、投資の世界では不要なことである。つまり銀行というところは長い年月をかけて当たり障りのないことしか言わない人間を育てているのだ。

  • 55歳位をキャリアの終点とした人事計画が実務担当層を薄くした。上級の役員にでもならないと多くの銀行で55歳までにポストオフする。そしてその手前の40代後半には支店長・部長というポジションに着く。そうすると実務は下のクラスに任せ切りになることが多くなる。一度この様な処遇を受けると第一線に立って顧客に対応することが難しくなる。その結果「上に立つ人間だけ多い」ということになる。これは報酬を資格やポストにリンクさせてきたことの弊害である。本来はプレーヤーとしてのパフォーマンスを報酬のベースとするべきであった
  • だが一番の問題は金融機関がバブル崩壊後止むを得ない面はあったにしろ、リストラという名前の下で多くの社員に転進を求めたことである。これは収益改善の点で即効性があったが、長期的成長という点でbackfire(逆噴射)した。このことは「日本の少子化と高度成長」ということに共通する。

日本が高度成長を成し遂げることができた要因の一つが少子化政策である。つまり少子化政策のため、保育園・学校等への社会的投資を抑え、生産設備への投資を行なうことができた。家計においても教育支出が抑制され、住宅投資や消費が促進したのである。このことは現在の中国にも当てはまる。つまり少子化政策とは将来の持続的な発展を犠牲に経済の急成長を図る政策でそのツケは必ず来る。

これと同じことが、金融機関等のリストラで起きたということである。しかもリストラは従業員の精神面でもマイナスの影を落とした。つまり企業に対する「帰属意識」が希薄化したのである。

孫子はその著書「孫子」のまず最初に「一に曰く道」と言った。道とはある集団に統一をもたらす行動原理だ。会社においては働く者を引き付ける経営方針だ。利潤は勿論のその重要な要素であるが、それだけではない。働く者にとって会社は自己実現を行なう場である。ところが多くの日本の会社は利潤に走り後者を放棄した。

これに嫌気がさした人材特に外資系金融機関や他の業種でも職を見つけることができる”人財”は、景気回復と労働市場の需給改善を機に外へ飛び出したと見るべきである。

昔は「給料は高くても外資系はドライだから」という警戒感があったが、今では「日系にしろ外資にしろドライな時はドライ。それなら給料の高い方が良い」というのが転職者の意見ではないだろうか?また外資の方が自己を実現できる可能性が高いという話も聞く。

以上のように考えると金融機関の人材不足という問題は実はもっと根本的な企業の存在基盤に係る問題の縮図であることが見えてくる。

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ファイナンシャルタイムズに乗り換えた

2007年05月07日 | 株式

ネットで購読している経済専門紙をウオール・ストリート・ジャーナルからファイナンシャルタイムズに乗り換えた。昔国際業務に従事していた時は両紙ともネットで購読していたが、その後読む時間もないのでファイナンシャルタイムズを解約してウオール・ストリート・ジャーナル一本にしていたが、今回スイッチするのである。

切り替える理由といえばファイナンシャルタイムズの方がアジアや欧州の記事について詳しく報じているということだろう。「アメリカがクシャミをすると何処かの国が風邪を引く」という時代から世界は多極化している。通貨の点でもユーロはドル・円に対して堅調だ。投資の水平線を拡大するためにも、ファイナンシャルタイムズを読んでみようという次第である。

因みに一年間の購読料は110ドル約1万3千円だ(ウオール・ストリート・ジャーナルより若干高い様だ)。この金額で経済・金融の知識の地平線を広げられるということはありがたいというべきである。もっとも知識を広げたからと言って常に儲かるとは限らない。生半可な知識があるだけに外国のナマ株など買って損をすることがあるのも事実だ。しかし人生は冒険である。それ位の遊びがない人生なんてツマラナイじゃない、というのが私の言い分だがどうだろうか?

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サルコジ氏の勝利は格差容認の波

2007年05月07日 | 国際・政治

フランス大統領選挙でサルコジSarkozy氏が約53%の得票率で勝利を固めた。この選挙で二つ感じたことは、85%という投票率に見られるフランス国民の政治に対する関心の高さと世界的な格差容認の波ということだ。

日本の識者や政治家の発言を時系列で見ても、最近は抽象的・絶対的な格差反対論から一定の格差を容認する様な意見が増えていると思われる。これは格差に対する人々の認識が変わったこともあるが、景気と労働市場の回復で所得と雇用が好転していることが大きいかもしれない。

サルコジ氏の勝利宣言はBack in Europe欧州への復帰だった。サルコジ氏は公約の減税と労働市場の規制緩和を推進するだろう(もっとも来月の国会議員選挙で勝つことが前提だが)。これは世界第六位の経済大国フランスがアングロサクソン的な競争社会=結果として格差の拡大を容認する社会へ踏み出すことを意味する。

恐らくこのことは日本の「格差」論議にも影響を与えるだろう。今世界の潮流は格差を容認する方向を強めている。つまり「格差の拡大」がグローバリゼーションの必然の帰結であり「鎖国」でもしない限り、格差の拡大を押さえ込むことは出来ないという共通認識が広がりつつあるということだ。

これからの格差議論は神学論争的な議論を超えて、どの程度の格差を是認することがより多くの国民にとって納得がいくか?というプラクティカルな議論になっていくだろう。又その様なビューを持たない政治家に私は関心はない。

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