賞与査定の時期が終わった。査定の時期になると何時も私は「仕事ができるということはどういうことなのか?」ということを考える。
「計算が速い」「文章が簡潔だ」「契約高が多い」・・・・等など仕事ができるということには色々なことが含まれる。そこで私はまず仕事を「ルーティーン」と「プロジェクト」に分けて考えることにしている。
「ルーティーン」とはroutineで日常業務のこと。既存顧客への商品の売り上げ、伝票の起票、決算などの定型的な仕事である。ルーティーンという言葉はコンピュータ用語でも使われる。この場合は「ルーチン」と呼ばれるが「特定の処理のためのプログラムの集まり」を指す言葉だ。
一方プロジェクトとは非定型的な仕事で先例のないことが多い。例えば「企業の買収や合併」「大型業務システムの開発」「大きな新商品の開発」などがこれに該当する。ここで必要とされる能力は、目的を明確に把握し、目標を達成するための幾つかの手段を評価し最適な手法を選択するといったいわゆる「プロジェクト遂行能力」である。
この「プロジェクト遂行能力」と「ルーティーンの処理能力」を分けて考えないと今問題になっている格差の問題が見えないのではないか?と私は思っている。IT技術の発展はルーティーン業務を一層ルーティーン化つまり単純な作業に分解して非熟練労働者でも出来る様にしてきた。したがって「ルーティーン処理能力」というものは、仕事を得るための入場券ではあるが、競争力にはならないのである。つまりルーティーン能力をいくら高めてもそれはコモディティ(汎用品)の域をでない。非情な物言いだがそれが経済のグローバル化の結果である。
一方色々な産業がグローバルな競争にさらされる様になり、企業は先例のない競争と変革の時代に入っている。ここで必要なのは「プロジェクト遂行能力」であろ。プロジェクト遂行能力とは何か?ということをここで詳しく書く積もりはないが、余り文系社会では使われていない言葉ながらセレンディピティSerendipityという能力をその一つに上げてみよう。
セレンディピティとは18世紀に英国の文学者ホンス・ウオルポールが作った言葉で「他の研究を行っていて偶然にあることを発見する能力」という意味だ。大切なことはこれが「能力」だということだ。セレンディピティの具体例にはレントゲンによるX線の発見などがあげられる。
文科系的サラリーマンの社会においてセレンディピティが大きな話題になることは少ないだろう。しかし私は金融業務などにおいても「新商品の開発」や「新しいマーケッティング手法の開発」などでこのセレンディピティが発揮されていることがあると考えられている。
「仕事の成果」はコツコツと積み上げた結果だけではなく、偶然に助けれることも多い。これを単にラッキーと呼ぶか、セレンディピティ(つまり一種の能力)と考えるかでその人に対する評価や今後の処遇が変わってくる。私は「良く仕事が出来る人にはセレンディピティ的な能力がある」と考えている。そしてセレンディピティと予知能力には相当高い報酬を出すべきだろうと考えている。しかし今のところ日本社会の人事考課におけるセレンディピティ論は余り聞かないので私が少数派であることは間違いない。