もし毎日私のブログに経済・金融コメントを期待してお立ち寄り頂いている人がいるとすれば、今朝は期待を裏切ることになる。
昨日はFEDの政策金利引上げ時期が市場の最近の予想より遅くなるだろうという観測から米国株が大幅に上昇したし、今日は日本株も上昇すると思ったのでネットで面白そうな記事を読んでいた次第。
CNBCに「日本で(世界最大の出会い系SNS)アシュレイ・マディソンの普及速度が世界一」という不名誉?な記事がでていた。
CNBCによると、アシュレイ・マディソンの利用者が百万人に到達したのは開始後8か月半とのこと。これはこれまでの最速記録のブラジル(10か月)や米国(1年)を上回る速さだそうだ。
だが驚くべきはこの不倫SNSの普及速度だけではない。世界のユーザー(25百万人弱)のサンプル調査では約2割の人が罪悪感を感じているのに対し、日本では男性の8%、女性の2%!だけが罪悪感を感じているという話だ。
驚くべきと書いたが、日本の歴史に詳しい人にとってはそれほど驚くべきことではないかもしれない。というのは江戸時代以前に日本人はLove affairについてかなり寛容だったことは、キリスト教の布教のために来日したフランシスコ・ザビエルの手記からもうかがえる。ザビエルは姦通や男色にふけっている日本人に神罰が下ると警鐘を下してる。もっともこれをもって当時の日本人の倫理観が低かったと判断してよいかどうかは議論のあるところだろう。つまり日本の倫理観のハードルがキリスト教の倫理観のハードルより低かったという見方もできる。
倫理観のハードルが低いでは、不倫問題以外でも最近は倫理観に問題がある出来事が目立った。
自称作曲家の佐村河内事件、STAP細胞の小保方問題、みんなの党渡辺氏の8億円借入問題などなど。その裏には「人に分らなければいい。法律に違反していなければグレーでも良い」などという考え方が蔓延しているのではないだろうか。
倫理のタガが緩んでいるのはマスコミも同じだ。ろくな調査をしないで、ニュース性のありそうな話題を誇大に取り上げるから社会に不要な混乱を招いている。
だが「人が分らなくても、やった本人は分っている」のだし、法律は社会の一番内側のルールでその外側には共同社会の一員として守らなければならない礼儀だとか信頼という倫理・道徳があり、さらにその内側にある個人が社会に対して何かを働きかけたいというコミットメントがあると私は考えている。
そこのところがおざなりになっているようだ。