経済コラムニストの大江英樹さんがマネー研究所で「自由楽しんでこそ定年生活『べき論』には縛られない」という小文を書いていた。
趣旨はこうだ。
- 定年や老後についての「定年本」がたくさんでている。定年本では「定年後はこうあるべきだ」という論調が目立つ。
- しかし定年後は「べき論」に縛られないで、自然体で望めばいい。
- なぜ「べき論」にとらわれるかというと理由が2つある。一つは「定年後の生活は初めてだ」ということだ。
- 2つ目は自分がどんな生活をしたいか、からだ何をやりたいか全くイメージをしないまま定年を迎えてしまうからだ。
- 会社員なら国民年金に加えて厚生年金ももらえるので老後の生活が困窮することはないだろう。
まず総論としては概ね賛成。定年本に書いてある「べき論」にとらわれる必要はまったくない。
だが大江さんがあげた理由には若干疑問がある。そもそも人生には何度か全く新しいことを始めることがある。たとえば大学生になる。就職する。結婚して新しい家庭を築く・・・などだ。我々は「初めての生活」をスタートする時いつも「べき論」から入っていたのだろうか?
私はそんなことはないと思う。我々は若い頃「初めての生活」に自分なりの夢を託していたはずだ。夢が新しい生活を牽引したので「べき論」など必要がなかったのだ。
この仮説が正しいとすると「定年後の生活」には夢がないから、他律的な規範である「べき論」が必要になるということになる。逆にいうと夢を持つと誰かが書いた「べき論」などは必要がなくなるのだ。
2つ目の「どんな生活をしたいかイメージを持たないまま定年を迎えてしまう」についてコメントすれば、個人の生活は連続したもので、退職したその日にガラリと変わるものではない。ゴルフの好きな人は定年後にゴルフに行く回数が増えるということはあるが、それは量の問題で質の問題ではない。
私が言いたいことは定年後の生活をイメージするのではなく、定年の前から実践することが大事、ということだ。
写真が好きで定年後に色々なところで写真を撮りたいと考えている人は働いている時に余暇を見つけて写真を撮ることが大切なのだ。
若い時の方が好奇心や気力があるので、新しいことに挑戦できる。やりたいと思うことをやり始めておくことが大切なのだと思う。
最後の会社員なら老後の生活に困窮しないだろうという点については正直なところ分からない。
根が楽観的なのであまり深刻に考えてはいないが、一ついえることはシニアになっても結構お金がかかるということだ。
その一つの原因は社会全体が老齢化の方向にあるということだ。たとえば若者の結婚年齢が上がっていることだ。また親も高齢化して介護費用などがかさむことも多い。つまり老齢化にともない冠婚葬祭費などの支出時期がシニア時代も続くのだ。
親類縁者や友人との付き合いなどを考えると楽観的過ぎてもいけないと思ったりするのである・・・