昨日相続学会の研究大会・パネルディスカッションで恵林寺のご住職・古川周賢老師から聞いた言葉「掴み切るから離すことができる」。
字句は不正確かもしれないが趣旨はあっているだろう。
釈迦が開いた本来の仏教では「苦しみの原因は執着にある」(集諦)のだから「執着を断ちなさい」(滅諦)と教える。
日本仏教の中では最も本来の仏教に近い禅宗も執着を断て、と教えるはずだから古川老師の言葉は仏教の教えに一見反するかのようにも見える。
だがもう少し深く考えてみよう。
実は本来の仏教も禅宗も出家者(富も地位も捨てた人)への教えである。別の言い方をすれば、本当にこの世の苦しみから脱却したいのであれば出家しなさいという教えである。
だが皆が出家してしまうと世の中は回らない。現実に我々は富や地位を求めながら生きている。富や地位への執着は社会を発展させる原動力なのだ。
少し話を広げて「生き切るから満足して死ぬことができる」という命題に置き換えて考えてみよう。
恐らくやるべきことをやったという人はこの世に執着が薄くなりそれほど死を恐れないと考えることができる(それでも生に執着する人もいるだろうが)。
つまり生を捨てる(死ぬ)には一度生を掴み切ることが必要なのである。生を掴み切るプロセスとは執着するプロセスである。
執着するものは、事業であったり、趣味であったり人さまざまである。だが極められるところまで極めることが大切なのだ。
極め切って満足するから離すことができるのである。
古川老師の言葉を私なりに解釈するとこのようになるが、正しいかどうかはもちろん分からない。