今「働き方改革」に向けての処方箋を考えている。「働き方改革」は労働市場の改革、年金制度の改革など国のイニシアチブがない進まないところ、定年延長・再雇用制度など人事制度の再構築など企業のイニシアチブがないと進まないところ、働くものによる自己再教育努力がないと進まない個人努力による部分がある。
企業のイニシアチブと個人努力の双方にかかわる問題として、働き手としての「競争優位の終焉」にどう対処するべきか?という問題を考えてみた。
まず「競争優位の終焉」について説明しよう。これはアメリカの経営学者リタ・マグレイスが書いたThe End of Competitive Advantageの訳本「競争優位の終焉」のタイトルである。5年ほど前に出版された本だが人気の本だったのでお読みになった方もおられるかもしれない。
著者はこの本の中で「過去企業は競争優位性を持続させようと考えてきた。ところが技術革新や人々の好みの激しい変化により競争優位性の賞味期限は短くなっている。これからは一時的な競争優位性を獲得し続けることが必要だ」と述べている。
これを働き手の「仕事遂行能力」に置き換えて考えてみよう。命題は「働くものに求められる能力=雇用される能力は技術革新や市場環境の変化に伴って急速に変化している。もはや一度獲得した技術や資格で永続的に飯が食える時代ではなくなった。働くものは一時的な競争優位性を獲得し続けることが必要だ」ということになる。
私はこの命題は概ね正しいと考えている。しかし多くの日本企業の人事制度がこの考え方で運用されているか?というと大いに疑問が残る。何故なら企業には~歴史のある企業になればなるほど~ある種の企業文化とそれに基づく人事制度があり、永続的な競争優位性を守ろうとする人間の方を一時的競争優位性の獲得に努力する人間より高く評価する傾向があるからだ。
上司が賞味期限が切れた競争力については知見があるが、新しい競争優位性を理解できないという問題もあろう。
このような問題は日本のみならずアメリカや中国でも起こる話だろうが、日本以外の国には「転職市場」という裁定機能がある。つまり獲得した新しい競争優位性を評価されないと感じた労働者は評価してくれる会社に転職することが可能な訳だ。
というと日本にも転職市場はあると反論される人もいるだろうし、私も日本に転職市場がないというのは極論だと思っている。ただし日本の転職市場は「優秀な一握りの人」には市場として機能しているが、多くのそれ以外の人にとっては市場として十分に機能していないのではないか?と考えている。
「優秀な一握りの人」というのは実は一時的競争優位性を継続的に獲得できる人を指すのだろうと私は考えている。
以上のような仮説が正しいとすれば、労働市場においても「競争優位の終焉」が確実に進行しているので、働き方改革は競争優位の終焉にどう対応するかというかという課題を抱えていることになる。