昨日テレビのバラエティ番組を見ていると「高校の日本史の教科書から武田信玄・上杉謙信といった日本史上の英雄たちの名前が消える可能性がある」ということを取り上げていた。他にも消える可能性の「著名人」は、吉田松陰・坂本龍馬・大岡越前など。世界史上の人物では、クレオパトラやガリレオ・ガリレイなどの名前も消える可能性があるらしい。
何故教科書から著名人の名前を消すか?というと「高校生が覚える用語が多すぎるので、現在の3,500から1,500に減らす」ことが目的だという。信玄や謙信の名前が消えるのは、二人が戦った川中島の合戦というのは、地方大名の衝突で、歴史の大勢に影響はなかったことが理由のようだ。
偶々だが、昨日私はスキーの帰りに長野IC近くの川中島古戦場史跡公園に立ち寄って蕎麦を食べ、信玄・謙信一騎打ちの地・八幡原を見た。
その印象もあり「高校生や教師の負担を軽くするため、教科書の登場人物を減らす」という「高大連携歴史教育研究会」の意見に疑問を感じている。
確かに一見すると川中島の合戦は日本史の大きな転換点にはならなかった。戦国時代の終焉と全国統一は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という尾張・三河出身の大名により達成された。
しかし信玄や謙信が日本史に影響を残さなかったというのは浅薄な見方であろう。例えば織田軍団が巷間3千丁と言われる火縄銃を揃え、武田騎馬軍団に立ち向かったのは、武田軍団が川中島の合戦などを経て、最強の騎馬軍団になっていたからだ。
伝統的戦法では勝利がおぼつかないと考えた信長は、大量の火縄銃を揃えるとともに、兵制を改革し、射撃専門部隊を作る。それが兵農分離に繋がり、やがては江戸時代の士農工商という身分制度につながっていく。
つまり武田信玄という英雄がいたから、織田軍団の火縄銃部隊が強化されたという面があると私は見ている。
また武田氏が滅びた後、その兵団は井伊直正の配下に入り、家康の天下統一を支えていく訳だ。さらには徳川の先陣を務める井伊家の大老が勤王派の浪士に暗殺されるというショッキングな出来事が、幕藩体制の幕引きを早めたと考えると、歴史はつながっている。
歴史を学ぶ醍醐味とは、このような複雑な繋がりを自分なりに考えることではないだろうか?
思うに「歴史上の登場人物を減らす」という発想は、大学入試試験における高校生と受験教育を担う教師や試験問題を作る大学の負担を減らすことにあるようだ。
問題は歴史上の人物にあるのではなく「一時的な暗記力を競わせる入試方式」にあるのだ。暗記力を競わせるのではなく、大きな歴史の流れを把握し、歴史を動かす力とはなにか?ということを考える力を競わせるべきではないだろうか?
考えるためにはデータがいる。最初にインプットするデータを少なくすると処理は簡単だが、捨て去ったデータの中に重要な情報がある場合がある。その結果少ないデータからのアウトプットは浅薄過ぎて役に立たない場合があると私は考えている。