ちょっと違うんだけどなぁ、と思いました。
宮内悠介さんが日経にお書きになった「SF大賞のこと」という文章を読んだ時のこと。
内容は素晴らしい。今回、受賞された方々の関係がわかりやすく説明されているし、宮内さんが気負ったふうもなく、しかも意欲的であることがよく伝わってきて気持ちがいい。
ただ1点、「日本SF大賞とはその名の通りSFの賞で、筒井康隆氏が制定し、日本SF作家クラブによって主催されてきた」というところ。
発案し、制定にもっとも寄与したのは、当時、日本SF作家クラブ会長だった小松左京さんでした。ざっくばらんな言い方をすれば、小松さんが徳間書店の創業社長だった徳間康快さんに「運営はうちがやりますから、賞金とパーティーをお願いします」と持ちかけて快諾を得たのです。
もちろん、以後の折衝や打ち合わせで事務局長だった筒井さんをはじめ、おもだったメンバーと協力し、議論して練り上げたことに間違いはありません。
でも、なぜ賞の制定が筒井さん主導だったことになっているのか。疑問に思っていたところ、ウィキペディアの「日本SF大賞」の項に次のような記述がありました――
- (前略)当時の日本SF作家クラブの事務局長の筒井康隆の働きかけで制定され、直木賞の落選経験を持つ筒井の意向によって制定当初は、会員へのアンケート結果と候補作を発表しないことになっており、落選作が分からないように配慮されていた[3]。なお、筒井が本賞の制定に動いたのは、筒井が高く評価していた大江健三郎の『同時代ゲーム』が不遇だったため、受賞させて再評価させようという意図だったという[4][5]。
参照されている文書の[3]は『笑犬樓よりの眺望』、[4]は〈週刊新潮〉2008年8月7日号に筒井さんが書かれた「私の名作ブックレビュー 若者よ『同時代ゲーム』を再評価せよ」、[5]は『漂流 本から本へ 』。筒井さんのエッセイのみから、制定事情を忖度したもののようです。
当時の〈SFアドベンチャー〉は難しいとしても、会長だった小松さんの書かれたものなどを参照すれば、こんな誤解は起きなかったはずですが……。訂正を申し入れる必要があるでしょうね。
明治時代に中国から入ってきたそうですが、このところどんどん勢力を広げているように見えます。半日蔭の、やや湿った土地が好みのようです。
外に広がった5枚のプロペラのようなのは、萼(がく)です。内側のややこしい形に突き出ているのが花びら。
後ろに突き出た距が長いですね。蜜がたっぷり入っていそう。
名前の「芹葉」は、葉っぱが芹に似ていることから。「飛燕草」は、あたかもツバメが飛翔しているかのような形の花だからでしょう。ぴったりの呼び名だと思います。
この花も、きっと自分が飛んでいる気分でいるにちがいありません。