後編は現実との関わりが薄れ、ほとんど象徴的に渡辺晋さんの成功から死までを描いているように思えました。
そんな中、具体的で面白かったのは「スーダラ節」を歌っていいものか迷う植木等が、僧侶である父親に相談をもちかけた場面。伊東四朗さん演じる父親は、木魚を叩きながら気乗りしない様子で話を聞いていますが「わかっちゃいるけどやめられない~♪」のところで、何かに打たれたかのように「それは親鸞聖人のおっしゃったこと……」とか叫んで、歌をうたうことを勧めるのです。
「わかっちゃいるけど……」が人間の業を表現しているとでも考えられたのでしょうか。
とはいえ、やはりドラマで触れられていない事実が、後編では前編に増して多いのが気になります。加山雄三がまったく登場しなかったのはなぜでしょうか。それと、日本テレビの井原プロデューサー(当時)との対決も、フジテレビの番組としては触れにくかったことはわかりますが、重要な問題だっただけに避けてしまったのは残念。
「紅白歌のベストテン」に渡辺プロ所属歌手が出演しなかったことがきっかけになり、日テレとナベプロの全面戦争のような状態になってしまったことを、当時の日本人はよく知っていました。おそらくこの事件が契機となって渡辺プロの芸能界での覇権が崩れ、ホリプロやサンミュージックといったプロダクションが力をつけてきたはずです。
さらにいえば、森進一や伊東ゆかりの独立に対して渡辺プロダクションが取った態度も、我々に「ナベプロは芸人を、そして芸能界そのものを、大事にしているのだろうか?」という疑問を投げかけました。こうしたことにドラマは触れず、渡辺晋さんが政財界との付き合いに深入りしてゆく姿を描くばかりでした。そのことが渡辺プロの衰退につながった、とでもいうように……。
そうした一面もありはしたでしょうが、ナベプロの衰退にはもっと大きな原因があったはずです。たとえば、テレビや映画といったメディアを過信し、生のステージをあまり重視しなかった、とか。あるいは、フォークやロック、ニューミュージックといった若者の嗜好をうまくとらえられなかった、とか。芸能活動そのものに対する渡辺さんの姿勢を、もう少し描いて欲しかった。
キャンディーズが電撃引退宣言した後、彼女たちと社長との間で本当はどんな話合いがもたれたのか、当人たちに聞いてみたいものだと、画面を見ながら思わずにはいられませんでした。
そんなこんなで、後編の評価はかなり低くなってしまいましたが、芸能史を取り上げる番組はこれからも創っていただきたいと願っています。
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