goo blog サービス終了のお知らせ 

惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

鉢の植え替え

2006-03-05 21:21:31 | 園芸

 良いお天気なので、暖かい日差しに誘われて土いじり。

 今年の春の課題は鉢ものの植え替え。今日は2階のベランダに置いてあるモッコクとラベンダー、それにタイムを植え替えました。
 この中でいちばん古いのはモッコク。いつから育てているのか定かな記憶はありませんが、7~8年は経っているかも。ミニチュアながら、すでに大木のような風情を備え、土の表面にはいい感じにびっしりと苔が生えています。この苔をダメにしないように、そっと鉢から出し、根をほぐしました。

 植え替えというのは「根の剪定」なんですね。窮屈な鉢の中で伸びすぎて死んだようになっている根をほぐし、切り詰めて、再び鉢に戻す。その時、新たな根が生える余裕を作ってゆくんですね。

 モッコクはあまり新たな余裕が作れませんでした。ラベンダーとタイムは水遣りを控えめにし過ぎていたせいで、根はまだ鉢の底まで届いていなかったので大丈夫。これからはもう少したっぷりと水を遣らなければ。


SF大賞・新人賞

2006-03-04 20:21:13 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜は日比谷の東京會舘にて徳間文芸賞(大藪春彦賞・日本SF大賞・日本SF新人賞)の贈賞式&パーティー。

 帰りが終電後になりそうだったので、バイクで出かけました。「夕方から雨か雪の確率50パーセント」という予報。
 家を出る時は曇ってはいたものの、さほど降りそうな雰囲気にあらず。「うまくゆけば、都心で時間を過ごしているうちに雨は通り過ぎるかも」との皮算用だったのですが、新宿を通過するあたりから降り始め、四谷、麹町あたりはかなりの雨。おかげでビショビショになってしまいました。

 とはいうものの、防寒衣を脱げば問題はありません。午後4時からSF作家クラブ総会。新入会員9人を加えて、これで現役200人の大所帯となりました。その後、同じ館内で場所を変えて徳間文芸賞の贈賞式。
 第8回大藪春彦賞は『遠くて浅い海』(文藝春秋)のヒキタクニオさん。第26回SF大賞は『象られた力』(ハヤカワ文庫JA)の飛浩隆さん。第7回日本SF新人賞は『マーダー・アイアン――万聖節前夜祭――』(徳間書店刊行予定)のタタツシンイチさん。

Tobi06  SF大賞の飛さんは「受賞した短編集の作品は、最新でも14年前のもの。とっくに賞味期限切れかと思っていたのに、大賞まで貰ってしまいました。10年間、書かずに苦しい時期もありましたが、これからも書き続けてゆきます」と、受賞の言葉。写真は谷甲州SF作家クラブ会長から賞状を受ける飛さん。
Tatatsu06  SF新人賞のタタツさんは現在40歳だとか。「20年近くコツコツと四畳半で書いてきた人間が突然明るいところに出てきてパニック状態です。今後とも精進を続けてゆきたいと思います」との受賞の言葉を述べられました。写真は同じく谷会長から賞状を受けるタタツさんです。
 なお、受賞の言葉はどちらも森下が聴き取った大意であることをお断りしておきます。

 その後のパーティーではソフトドリンク片手になつかしい人たちと歓談した後、途中で抜け出し、某所で秘密会(というほどでもないのですが……)。
 帰宅は午前2時となりましたが、都心の雨は夕方だけだったようで、帰りは快適でした。


穴掘り

2006-03-02 20:07:29 | 園芸

 午後、庭仕事をしていたらポツポツと降ってきました。
 このところ、東京はお天気がすっきりしません。予報では降るとはいってなかったのに、今日も……。

 庭での仕事は塀ぎわに生えたシュロとヤツデを根扱ぎすること。この一画をきれいにして、新しい苗木を植えようと計画しているのです。
 日当たりがあまりよくない場所なので、ツバキなんかがいいかなあと思っています。

 だいたいきれいにして、穴も掘ったところで、ホームセンターへ。適当な苗をみつくろったのですが、今日はまだ買うところまでゆかず。あちこち見てから決めるつもり。今がいちばん楽しい時期なのかもしれません。


『ブルックスの知能ロボット論』

2006-03-01 21:22:25 | 本と雑誌
 ロドニー・A・ブルックス著『ブルックスの知能ロボット論』(五味隆志訳、オーム社)が面白い。

 ブルックスは異色のロボット学者。「考えるロボット」を作ろうという今のロボット研究の主流に背を向け、「考えないロボット」の実現を目指し、しかもかなりの成果を上げているように見えます。
 彼の研究成果の一部はソニーのアイボに生かされているし、掃除ロボット「ルンバ」はかなりのヒット作となったようです。

 現在主流の「考えるロボット」が「頭脳」内部に外界のモデルや自分の意図を構築して、それから行動しようとするのに対し、ブルックスの「考えないロボット」は状況の中に身を浸し、外界との関わりから行動の方向を見出してゆく。彼のロボットの知性は環境との相互作用の中にあるといってもいいかもしれません。

 本書の前半では「考えないロボット」というアイデアがどういうふうに生まれ、それをどう実現してきたかが語られる。昆虫型ロボットゲンギスや、表情で人間とコミュニケートするロボットキズメットを見ていると、生物とは何か、人間の社会性とは何かといった問いが、鋭く提起されていることを感じます。
 最初に知性があり、それから何かの行動が発現してくるという考え方が、生物の進化から見ると逆方向であることは明らか。まず行動があり、その上にのっかる形で知性も誕生してきたというブルックスの主張は、間違っていないでしょう。

 しかし、どれだけ経てば彼のロボットたちが知性を発達させるかを考えると、やはり道は遠い。そのせいか後半の、今後の見通しに関するエッセイ部分は切れ味が今ひとつと感じました。それでも、ハンス・モラヴェックのロボット論よりは納得のゆくところが多かった。