惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

冬の国体・開始式

2013-01-26 20:48:11 | スポーツ
 午後、代々木の第一体育館まで出かけ「第68回国民体育大会冬季大会 スケート競技会・アイスホッケー競技会 開始式」を観て来ました。家内が観覧席に応募していて当選したのです。

 目当てはアトラクション。フィギュアスケートの荒川静香さん、ステファン・ランビエルさん、本田武史さん、それに本田望結(みゆ)ちゃん(8歳、可愛い!)らが氷上の舞を披露してくれたのです。
 TVで競技会はよく観るのですが、ナマで滑りを観るのは初めて。摩擦のほとんどない世界で自在に動く人たちを眺めると解放感が伝わってきます。しかも、動きが超一流。実に美しい。
 ありがたい目の保養になりました。

 神宮アイスメッセンジャーズを加えた全員の滑りと共に歌われた東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」(作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子)も良かった。福島の高校生たちの合唱を聞いていると、胸にじんと来るものがありました。

 今度の冬の国体、スケートとアイスホッケーは東京および福島で、スキーは秋田で競技が行われるそうです。
 ひたむきに競技に打ち込むこと、そしてそれを応援することで、明日への力が湧いてくることは、確かにあります。スポーツはいいもんです。


小鳥と恐竜

2013-01-25 21:13:40 | 動物
 6500万年前に絶滅したはずの恐竜が、実は鳥となって今も繁栄していると言われだしたのは、たかだか10年あまり前のこと。でも、もうすっかり頭はそちらに切り替わって、庭の小鳥たちを見ても「ああ、恐竜の子孫なんだ」と思っています。よく見かける鳥の中では、ムクドリが、獰猛そうな面構えや頑丈な足など、いかにも恐竜らしい感じ。

 この程、中国で見つかった羽毛恐竜の化石は全長30センチだとか。キジバトよりもちょっと小さいぐらい。

 大きな恐竜たちが絶滅した後、こんな小さな恐竜の仲間が何とか生き延び、少ない餌でも大丈夫なように体を小さくしてきた結果が今の小鳥たちだということでしょうか。そう考えると、すんなり納得できるように思います。同時に、空を飛ぶ能力まで手に入れている。

 恐竜の進化の道筋はけっこう羨ましいかも。


懸垂

2013-01-24 21:26:35 | 野鳥
Mejiro1301 メジロがサルスベリの枝にぶら下がっています。これから下方にある牛脂に飛びつこうとしているところ。

 いちばん寒さの厳しいこの時期、小鳥たちは体力を必要とするのに餌が少なく、大変なのでしょうね。庭の「小鳥の食堂」は大繁盛です。
 昨年はなぜか鳥たちの姿が少なく、どうしたことかと心配したのですが、今年はすっかり回復しています。本当に、昨冬は何だったのでしょう? 我が家だけでなく、田舎の高知でも似たような声を聞きました。

 ところで動物の写真は目に焦点を合わすのが基本のようです。しかし、オートフォーカスのコンパクトデジカメではなかなかそうはゆきません。
 この写真はたまたま目にも焦点が合っていますが、大概は動かない枝などに焦点がいってしまいます。

 良い写真を撮ろうと思えば、やはりマニュアルフォーカスの一眼カメラということになるのでしょう。
 でも、今のところ買う予定はなし。いつも持ち歩くようにしたいので、とにかく手軽で簡便なカメラがいちばんなのです。


見知らぬ町

2013-01-23 20:29:40 | まち歩き
 夕方の散歩は野川公園へバイクで出かけ、隣接する武蔵野公園までぐるぐる歩きまわりました。

 途中、武蔵野公園の北端はハケの道に接しています。その先は国分寺崖線――ハケ――の斜面です。
 歩きながら、ハケを突っ切る坂道をいくつか眺めるうちに、突然、そこを登りたくなりました。

 衝動に従い、高低差およそ20メートルを克服して、野川の流れる立川段丘から武蔵野段丘へと上がりました。
 上がったところは小金井市中町二丁目。何の変哲もない郊外の町ですが、たどり着いたルートが変わっていたので、見知らぬ町に来たようで、新鮮な気持ちになります。
 西に向かって歩いているとホームセンターがあったので、ふらふらと入ってしまいました。ゴム長698円は安い。欲しくなったら、散歩のついでにまた寄ろうかな。

 ホームセンターを出てハケの方に戻り、再び急な坂を下って立川段丘へ。
 下りきったところに「ムジナ坂」という標識が出ていました。ちょっと冒険をしたような、どこかダマされたような。良い気分で残りのコースを歩きました。


多摩丘陵の地図

2013-01-22 20:43:00 | まち歩き
 全域を踏破したいと思っている多摩丘陵の様子を表す各種地図が欲しいのですが、そのいちばん古いと思われるものに「横浜周辺外国人遊歩区域図」があります。
 幕末から維新直後にかけて、横浜在住の外国人が自由に出かけられる範囲を示した地図で、英国海軍のホーズ大尉という人が作成したそうです。1865年(慶応元年)~1867年(同3年)にかけて出版されていました。

 リンク先(横浜開港資料館)の図を見ていただければわかりますが、とても詳細です。範囲内には多摩丘陵全域と三浦半島、それに丹沢、箱根、富士山あたりまで入っています。

 海岸線は伊能忠敬の地図を参考にしたものと思われます。
 注目したいのは山岳地帯。陰影による独特な表現ですが、地面の凸部がかなり正確に描かれています。
 伊能図には海岸線と大きな川の流域ぐらいしか情報がありませんから、この部分は英国人が観察ないし測量して描き込んだものでしょう。日本ではまだこのような地図は作られていなかったはず。
 英国大使が富士山に登ったり、ホーズ大尉自身、大山に登ろうとしたりしたのは、内陸部の地形を探る目的もあったのでしょうね。軍事偵察の一環だったにちがいない。

 この地図では多摩のことを「SAMA」、三浦(半島)のことを「MURA」と表記するなど、色々と面白いので、いずれコピーを入手したいものだと思っています。