金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

目線の高さ

2006年05月29日 | うんちく・小ネタ

最近若い人と仕事の話をすると「遠くを見ていないなぁ」と感じることが多くなった。若い人といっても、40歳位なので世間一般的な意味では決して若くない。こちらが年を取ったということである。我々の会社も世間のご多分に漏れずここ数年リストラ・リストラで頑張ってきたが、この過程で中間管理職は「いかにやるか?」ということだけにとらわれ過ぎて「何故やるのか?」というより本質的な疑問を発することを忘れたようである。その結果足元のゴミは見えるが、地平線の風景は全く見えなくなってしまった様だ。

ここでいきなり余談になるが、地平線までの距離は一体どれ位だったか?計算して見たくなった。私の一つの悪いところは脱線するところだが、これも脱線の最たるものだ。

前提として地球の半径を6,370km、人の眼の高さを1.7mとして三平方の定理で計算してみると、海抜ゼロメートルで地平線までの距離は4.65kmとでた。ところで私はよく山に登るので、山の高さ毎に理屈の上で見える地平線までの距離を計算してみた。

すると海抜1千メートルで112.9km、2千メートルで159.6km、3千メートルで195.5kmまで見えることが分かった。無論実際には大気中の水蒸気等でそれ程見えることはないと思うが・・・

若いビジネスパーソンに時々で良いから山に登ることを薦めてみようか?などと考え始めている。1千メートル程の山で良いから頂上に立ってみると良い。100kmの視界はないにしろ天気が良ければ相当な範囲の世界が見えるはずだ。

今日本の会社に必要なことは、頭を高く上げて色々なものの地平線に思いをめぐらすことなのだろう。

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人生の主導権を取り戻せ

2006年05月29日 | リーダーシップ論

今朝の日経新聞「会社の金言」というコラム欄に大新東(ジャスダック・車両運行)の川島隆明会長が常々社員に「人生の主導権を我が手に取り戻せ」と説いていると書いてあった。日経の記事は「オーナー企業では時に経営がトップ任せになり、社員が自分で考える習慣が失われる」「自分で考えたことを議論してこそ会社も社員個人の人生も豊かになると(会長は)いう」と続ける。

この記事だけでは川島会長が「会社の中で自分の意見を言え」といっているのか「個人の人生の中で会社と個人生活のバランスを取り社畜にならず、人としての主導権を取り戻せ」と言っているのかは良く分からない。前者であれば極当たり前の会社における訓示だろうが、後者であるとすれば中々の卓見だと言いたい。

ここでは後者ということにして話を進めよう。人生の主導権を取り戻せということについては先人の名言が幾つもある。一つは「随所に主たれ」という禅語だ。

兼好法師の徒然草にも幾つかの言葉が出てくる。世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。」

要は俗事に追われていると人生は空しく終わってしまうというのだ。これは徒然草を貫く主題だろう。しかしこれは事業主側にとっては危険な思想であるかもしれない。つまり真に人生の主導権を取り戻そうとすると、会社のことより私生活の方が大事という人間ばっかりになってしまうかもしれない。一方妻や子供達をそこそこに満足させ家庭の中でも、ある程度の信頼と尊敬を得ていくには仕事人として、きっちりした仕事をしていなければならない。

自分の会社の目先の儲けだけを考えても、社会との調和が取れなければ事業は長続きしない。

このようなことから私は人生はバランスだと考えている。仕事人として家庭人として市民として一個人としてのそれぞれの局面で主体的に生き、バランスを取っていく。日本人の一人一人がそういう生き方を大切にする時、この国は良い方向に向かうと考えている。

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