昨日都銀・信託銀行の決算発表があった。日経新聞の信託の決算記事を見ると統合より競争重視という見出しのもと三井トラストと住友信託が統合するのではないかとの見方出ては消えると続けている。確かに邦銀の合併は一段落した様だ。では今後しばらく合併はないのだろうか?それに対する私の意見は後述するとして、まず最近エコノミスト誌が銀行合併についてThinking bigという記事を書いているので、そのポイントを紹介しよう。そこにかなりのヒントが入っているからだ。
- 約10年前1995年の世界の10大銀行(資産規模順)はドイツ銀行、三和、住友、第一勧業、富士、三菱、農林中金、クレディアグリコール、ICBであった。2004年の10大銀行はUBS,シティ、みずほ、HSBC、クレディアグリコール、BNP、JPモルガン、ドイツ銀行、ロイヤルバンクオブスコットランド、バンカメである。2004年のトップバンク、UBSの資産規模は95年のトップバンク、ドイツ銀行の資産規模の3倍の1兆5千億ドルである。日本では11の銀行が3大メガバンクになった。米国では10大商業銀行が全銀行の49%の資産を保有している。10年前のトップテンのシェアが29%だったから寡占化が進んでいる。
- 世界の殆どの地域で大銀行は買収・合併と組織の拡大で更に大きくなっている。銀行の巨大化に自然の法則からくる上限というものはあるのだろうか?明日の世界最大の銀行はシティやHSBCの2倍、3倍更には10倍の資産規模を持っているのだろうか?もしそうでないとすればそれば何故か?巨大化の利益は誰が受けるのか?それは常に生き残った銀行の株主という訳ではない。米国では株式市場で中規模サイズの銀行の株価が最も高くなっている。その理由の一つは投資家がこのサイズの銀行を大手銀行が高く買うことを期待しているからだ。
- 合併を評価する議論は銀行業においても、他の産業と同様にセールス、システム、オペレーションやリサーチといった分野で規模の経済効果が追求できるというものである。しかし大量生産的な金融サービスにおける規模の経済というのは分かりにくい。かなりの量の学術論文によれば、銀行が適切な規模に到達する前に規模の経済効果が浪費されているという。また規模の不経済効果というものも、何処かの段階で忍び寄ってくるだろう。巨大化すると銀行内部の情報の収集・統合や内部統制がますます困難になるからである。具体例では2002年から2005年にかけてシティ銀行は一連の法令順守上の問題で揺り動かされた。米国連銀はシティ銀行に対して大きな買収を見合わせる様に命じていた。もっとも連銀は同行の内部統制が改善したと判断して、この命令をこの4月に解除した。
- 合併を正当化するもう一つの議論は範囲の経済効果である。例えば一方で預金を集め、もう一方で貸出を行なう様な場合は、複数のビジネスラインを持つことで範囲の経済効果が機能する。しかしリテイル銀行が投資銀行や資産運用会社と同じ系列の会社になった場合、オーバーラップはある程度存在するが、個々の会社は多くの異なった事業を行なっている。金融コングロマリットは長続きするのか?銀行持ち株会社は長続きすると信じているので、設立されているのだが。
- 銀行が合併により巨大化を目指す第三の理由は、経営上の野望(これは経営上の誤りを含むが)である。経営者はより大きな会社を経営する喜びを欲しがる。あるいは、他の銀行を買収しないと自分の会社が買収されてしまうことを恐れるのである。
- 経営者はビジネス環境が急速に変化しているので、銀行は新しい技術、国家の規制緩和、経済のグローバル化により創出される市場機会を掴まえなくてはならないと主張する。その他の理由として、銀行が大きくなると規制当局に対する発言力が高まるということがある。
- バーゼル2として知られる新BIS規制は来年からユーロ圏で導入される。バーゼル2に対する批判の一つは大手銀行と小銀行を過度に差別するというものである。
- 結論として言えば良い銀行は大きくなる傾向があるが、より大きな銀行が必ずしも良い銀行とは限らないということだ。
以上のようなエコノミスト誌の意見など踏まえて、2つの信託銀行が合併するかどうかを推論してみよう。まず結論から言うと「暫くの間は銀行を取り巻く経営環境が良好(ないしは良好に見える)ので、双方の経営陣は合併したがらないが、次に経営環境の悪化が起きた時に合併が起きる」というものだ。
何故経営環境が良い時は合併したがらないかというと、エコノミスト誌の記事にあった様にグローバルな標準では経営者はより大きい会社を経営したいという野望を持つ。しかし私は日本の銀行経営者を動かている動機はそれ程野心的なものではなく、むしろ現在のステータスを失いたくないという保守的なものではないだろうか?しかしいずれにしても経営者の野心?が合併の方向付けをするという点では変わりはない。過去数十年の間の日本の銀行の合併を見ていると苦しくなって初めて合併が行なわれている。このことは私の仮説を裏付けているのではないだろうか?この文脈に従って見れば、日本の銀行界では苦しくならない限り、自発的な合併が起き難いと推論する。
では、銀行にとって苦しくなる状態とは何か?
一つは不景気による与信先の倒産リスクである。これについては景気のサイクルからくる企業倒産数の増減はあるが、与信管理能力が改善しているので、銀行の収益に過去ほど大きなインパクトを与えないかもしれない。
もっと大きな問題として私は「少子高齢化」「世界的な規制強化に伴うコスト増」「IT進化に伴う銀行の必要性の低下」という切り口からものを考えて見たい。現在大手銀行は投資信託等のリスク商品の販売手数料で収益を上げている。しかし私はこれはそれ程長く続かないと考えている。その理由の一つは退職金等の資産を持った顧客層が団塊の世代の退職とともに減少することである。次に消費者の金融リテラシーが高まると金融商品のコストに対する意識が高まり、高い販売コストや運用コストを敬遠する様になるからである。
次は規制強化の問題。まず来年から欧州で導入されるバーゼル2の問題である。このハードルをこなすためには相当コストや専門的ノウハウが必要となる。またハードルを越えないと収益性を上げることができない。ここで規模の利益が働くのである。規制というと日本版SOX法の実施もチェックすべきことだろう。米国ではSOX法対応で潰れてしまった会社があるというウソのような本当の話を聞いたことがある。日本では米国よりも簡単な仕組みを作ろうという話だが、システム投資を含む大変な作業になることは間違いなさそうだ。ここでは規模の利益と巨大化に伴う規模の不利益の双方を考慮する必要がある。
最後がIT進化に伴う銀行の必要性の低下だ。技術とサービスの普及の速度を脇において最終形だけ着目すると、携帯端末型の電子マネーとインターネットバンキングやペイジーの普及等で有人店舗による銀行の個人資金決済機能は大幅に低下する。しかしこのためのIT投資負担は結構重たい。従ってIT投資についていけない銀行が出てくるが、その様な銀行は顧客から見捨てられるしかない。
銀行が店舗を通じて提供するサービスは本当にフェイスツーフェイスのコンサルを必要とする業務だけなのである。さてでは誰でもコンサルは出来るのか?違う例で自分に質問してみよう。「あなたは奥多摩の山程度を登った人間が雪の北アルプスを案内しますと行った時お金を払ってガイドに雇いますか?」答はNo。「自分のリスクで数千万円の株式投資をした経験のない人のアドヴァイスをあなたは信用しますか?」さあ、答はどうだろう。
サービスに力を入れている銀行には悪いが、私は銀行の個人向け資産運用コンサル等は奥多摩の山登り程のことだと考えている。なお公平のために信託銀行の機能で利用して良いのは不動産仲介等の不動産機能だろ。これ例えて言えば「癌にかかったことがない医者でも立派に癌を治せる」ということになる。つまり1億円の家に住んでいなくても1億円の住宅を仲介することはできる。
話がすっかり逸れてしまった。ところで邦銀特に信託銀行の合併が起こるかどうかという話題に戻ると、4,5年先辺りに先ほど述べた環境の変化が集中するのではないか?と考えている。
ところで合併が規模の経済等メリットを享受できるかどうかは、たとえ形は対等合併であれ、当事者の片方が主導権を確立できるかどうかにかかっている。力が拮抗していると合併はうまく行かない。つまり規模の経済が合併の不経済に負けてしまうのだ。
そういう意味ではここ数年は、主導権を取ろうとする潜在的な合併候補の銀行が、将来の主導権争いの先駆として、猛烈な競争をする時なのだろう。