金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

母(かあ)べえに涙が出た

2008年01月27日 | 映画

今日武蔵村山のイオンモール内にあるワーナー・マイカルに「母(かあ)べえ」を見に行った。今まで大泉学園のシネコンに行くことが多かったが、映画の後の食事の選択が少ないので今日はイオンモールに行くことにした。

「母べえ」の詳しい内容を知らないまま吉永小百合さんの映画だということで見に行く。劇場内は私より少し年齢が上のカップルが多い。映画の舞台の野上家では夫を「父(とう)べえ」妻を「母(かあ)べえ」娘達の名前をとって「初べえ」「照べえ」と呼び合っていた。優しい家族である。坂東三津五郎演じる父べえ、野上滋は治安維持法違反で検挙される。吉永小百合演じる母べえは「夫と別れろ」という父の言葉にも負けず、代用教員として働きながら二人の子供を育てる。

太平洋戦争突入後暫くして父べえは獄死する。母べえは悲しみに浸るひまもなく、働き子供達を育てる。父べえの教え子で母子を支えた山崎(浅野 忠信)も南方戦線に向かう船の中で魚雷を受けて死亡する。

時は流れ映画の最後の場面は母べえが病院で死ぬ場面である。次女は母べえに「死んだら天国で父べえに会えるよね」というが、母べえの答は「生きて父べえと会いたかった」というものだった。ここで次女が泣き崩れ、私も思わず目頭が熱くなった。母べえが何年も何十年も思い続けていた無念、それが父べえの死なのである。

戦争は常に悲惨だ。思想統制も悲惨だ。それにしてもあの頃の日本を覆っていた狂気は一体何だったのだろうという思いで私は映画館を出た。「良い映画だったけれど、皆死んでしまうので救いのない映画だったわね」とワイフが言った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソロスの警鐘

2008年01月27日 | 国際・政治

ジョージ・ソロスはダボス会議で米連銀の金利引下げを批判している。その話は別の機会にエントリーするとして、今日はソロスが現在の金融危機についてFTに一文を寄せているので、紹介したい。実は私も先週ある雑誌の来月号に「地殻変動の予兆」という題で記事を書いているが、その論拠とソロス氏の話が符合するところがあるので気を良くしていているところだ。

  • 米国の住宅市場に端を発する現在の金融危機は、第二次大戦後4年から10年おきに起きてきた他の危機に似ているところもあるが、大きな違いがある。それはドルを国際通貨として信用拡張を行った時代の終わりという点だ。
  • つねに信用拡大は金融問題を起こし、その度に当局が介入して流動性を供給し、景気刺激策を取ったことで問題を解決してきた。市場原理主義者(マーケット・ファンダメンタリスト)は市場に委ねておけば、市場参加者の間で利益の最適配分が行われると主張するが、それは誤った概念である。何故ならば市場を崩壊から救っているのは市場自体ではなく当局だからだ。
  • グローバリズムは米国に他の国の貯蓄を使うことを可能にした。この結果米国の経常赤字はGDPの6.2%に達した。
  • 新しい金融商品が複雑すぎて、金融当局や銀行のリスクマネジメント部門がリスクを計算できなくなった。これは衝撃的な責任の放棄である。
  • 信用拡大の後には信用収縮の時期が来なくてはならない。何故なら新しい信用供与手段やプロセスは不健全で持続可能ではないからだ。米国の連銀が金融緩和策を取っても、世界の他の国はドルを決済通貨としてこれ以上積み増すことを望んでいないので、効果が限られている。むしろ連銀はインフレを警戒するべきである。
  • 先進国におけるリセッションは多かれ少なかれ避けられない状態だろう。中国、インドそして産油国はこれと反対の傾向にある。従って現在の金融危機が世界的なリセッションを引き起こす可能性は低い。ただし米国の保護主義を含め、政治的な緊張が高まるリスクはある。

以上がソロス氏の寄稿の概要だ。私はソロス氏の文章を読む前に「地殻変動の予兆」という一文をある雑誌に寄稿した。その内容を雑誌の発刊前に述べることはできないが、着目点は住宅の値上がり益を消費に回してきたアメリカン・ドリームは終わったということである。そしてその背後にはベビーブーマーの退職という人口動態の変化がある。地殻変動に対して金融政策だけで対応することは難しいと私も感じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする