今日(9月5日)から2泊3日でワイフと松島から鳴子付近を回る予定だ。ここ数年夏はワイフと東北方面に旅することが多い。東北を歩くと自然行き先は芭蕉の足跡に重なる。
今日の目的の一つは塩竈神社。奥羽一宮だ。以下奥の細道の記述・・・・
「早朝、塩竈の明神に詣づ。・・・宮柱ふとしく、彩橡(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞にかさなり、朝日朱の玉垣をかかやかす。・・・・・(古い灯籠の)鉄(かね)の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とあり」
和泉三郎とは藤原秀衡の三男忠衡。父秀衡の遺命を守り義経に忠節を尽くし勇戦の後自害した。芭蕉は忠衡を慕い「五百年来のおもかげ、いま目の前にうかびて、そぞろに珍し(追慕の念やみ難い)」と詠嘆する。
次に松島。奥の細道は「松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖に恥ず」と絶賛する。
絶景に心を奪われた芭蕉は句を作ることができなかった。
松島の後、芭蕉は平泉に行きそれから鳴子へ向かった。今回私は平泉には行かず、鳴子へ直行する予定だ。ここが最後の予定地。
奥の細道は「鳴子の湯より尿前(しとまえ)の関にかかりて、出羽の国を越えんとす。この道、旅人まれなる所なれば、関守にあやしめられて(不審がられて)、ようようとして関を越す。」
芭蕉はこの山中で国境の番人の家に泊めてもらい、「蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと」の一句を読む。
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さあ「奥の細道」の該当部分も読み終わった。支度をしてそろそろ出かけよう。旅を終えてからもう一度奥の細道を読もう。旅は「行く前」「旅そのもの」「旅の後」と三度楽しむことができる。