今日(10日)の読売新聞朝刊は「菅氏と小沢氏の主張バラバラ・・・外交停滞懸念の声」という見出しで内外から日本の外交停滞に対する懸念の声が上がっていると述べている。これが大方の見方だろう。
だが興味深いことに米国外交問題評議会の日本担当シーラ・スミス女史は9日付のエッセーで「二人の主張がバラバラでも日本の国民や日本以外の人にとっても良いことはある」と論じている。
何故良いことがあるのかというと「この党首選キャンペーンを通じて『政治的論点』~日本の経済的選択を見ることができるからだ」と女史は言う。
小沢氏は昨年の総選挙のマニフェストを日本の将来の設計図とし、地方自治体に使途自由な助成金を出し、政府の無駄な支出を減らし、マニフェストで約束した子供手当ての満額支給を推進しようとする。
一方菅首相はこれらのアイディアは現在の日本が直面する現実の前では軌道に乗らないと主張する。菅首相は民主党に恐怖を起こさせる消費税引き上げのみならず法人税の改正を含む税制改革を検討することを求めている。
スミス女史は「菅首相の主張は理にかなっているように見えるけれども、根本的な疑問が残る。それは菅首相がいかに日本の経済成長を促進し、円高の影響に対処するかという点だ」と述べる。
一方スミス女史は小沢氏については数年間彼は政治的主張を明らかにしていないので、彼のコメントに海外は注目していると述べる。
「政治家に対する日本人のフラストレーションは高い。菅・小沢競争は多くの日本人にとって自己中心なドラマに見える。だけど日本にとってオープンな政策議論の習慣を発展させることは、日本の政治家が目指す方向を明らかにする上で必要なことだ」と女史は続ける。
最後に女史は「日本人にとって本当に必要なことは献身的なリーダーシップである。日本をどのように変えるかという抽象的概念を政治的課題として組織化することが必要だろう」と結んでいる。
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スミス女史は概ね親日的なコメントを書く人だが、このコメントも「困難な状況の中にポジティブなものを見いだそう」という好意的なものと考えられる。
ところで菅氏・小沢氏の党首選キャンペーンを通じて、国民は~選挙権があるのは民主党関係者だけなのだが~両氏の政治的主張や政治手腕に信頼を高めることができたのだろうか?
私はこの点大いに疑問を感じている。何故疑問を感じてるかというと菅氏の場合は「雇用拡大」や「経済成長」というwish(願望)は述べられているが具体的筋道が不明確だからである。
一方小沢氏の場合は「マニフェスト堅持」を掲げているがこれもwishであり、「無駄の排除」だけで財源を捻出することは不可能なことが明らかになっているので、主張が空理空論になっている。
では何故二人の政治的ゴールあるいはwishに具体的筋道が立たないのかというと、その原因は民主党が政権奪取過程で自由市場経済を不当に悪者にしたということに尽きると私は考えている。
09年の衆議院総選挙後の連立政権樹立時の三党合意文書は「小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している」と述べている。つまり諸悪の根源は競争主義的経済政策にあったという訳だ。
また鳩山由紀夫氏はある論説の中で「冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないだろう」(大竹文雄氏「競争と公平感」より引用)と述べている。
つまり民主党は政権奪取の旗印として「グローバリズムや市場経済主義」を攻撃し、それが自縄自縛になっているのである。
もっとも民主党は国民の反市場主義的な考え方に乗っかったから政権を獲ることができたと考えるべきかもしれない。「競争と公平感」によると2007年におけるPewReseachの「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場で多くの人々はより良くなる」という考え方についてあなたは賛成するか?という意識調査について日本人は49%の人しか賛成していない。(アメリカは70%、中国は75%の人が賛成)
市場主義と適切な競争が経済成長の源泉であることは他国を見ると明らかなことである。ただし競争の敗者に対するセーフティネットと敗者復活のチャンスは提供しなければならない。競争とセーフティネットは対立するものではなく、補完しあうものなのだ。
民主党党首選の論戦が上滑りに終わるのは、この基本的原理に立ち戻れないところに問題があると私は考えている。
私は消去法的に菅首相の勝利を期待しているが、彼の指導の下経済成長が行えるかどうかはこの原点に立ち返ることができるかどうかにかかっている。