尖閣諸島問題に関する政府の対応、例えば公務執行妨害容疑で拘束した中国人船長の釈放に関して国内の政治家やマスコミから色々な意見がでている。民主党の中からも「三国干渉後の臥薪嘗胆のような思いだ」(長島前政務官)という声があがっている。
一方米国のキャンベル国務次官補は船長釈放について「政治的指導力を発揮した」と評価している。私の推測では船長釈放について日米高官の間で事前に合意が行われていたと思われる(当事者がいかに否定しても)ので、米国側が評価することは当然である。
船長釈放については誠に歯がゆい。だが問題はその局面だけを捉えて是非を問うべきではないだろうと私は考えている。ある政治的判断はその背景にある国の国防基盤を離れて評価を下すことはできない。そこで今問われなければならないのは、日本の国防意識をどう改革するかということではないだろうか?その改革がない限り第二、第三の尖閣問題は起きるのである。
マキャベリは「自らの安全を自らの力によって守る意識を持たない場合いかなる国家といえども独立と平和を維持することはできない」と述べる。
東西両陣営が激しく対立した冷戦時代において米国の傘に守られた日本の中で政権を取る見込みのなかった左翼陣営が無防備や国益を毀損しかねない主張を行っていたことは、彼等のアイデンティティを確立する上での意味はあった。しかし時代は変わり、中国が新しいパワーとして台頭する中で、過去のマントラを唱え続けることほど危険なことはない。
「戦争とは異なった手段をもって行う政治に他ならない」と述べたのはクラウゼビッツだが、毛沢東もほぼ同じことを別の表現で述べている。
「政治(外交)は血を流さない戦争であり、戦争とは血を流す政治(外交)である」毛沢東
「その考え方は古い」という意見もあるだろうが、我々はそのような考え方を思想基盤に持っている隣国と接していることを忘れてはなるまい。
だが私は「尖閣諸島に護衛艦を派遣しろ」など一見勇ましいことをここで声高に主張する積もりはない(必要であれば当然行うべきだが)
もっと必要なことは国防基盤の改善であろう。
「孫子の兵法」は冒頭で「兵は国の大事。死生の地、存亡の道なり」と述べ、戦争を始める前~これは血を流す戦争はもとより、血を流さない戦争でも同じだ~に、よくよく自分と相手の分析を行うべきだと主張する。
分析ポイントの第一は「道」である。道とは国民の意思を為政者に統一させる内政の正しさだ。これが実行されていないと有事に国民は政府の命令に疑いを持つ。
孫子はこの他「天」「地」「将」「法」をあげる。「天・地・将」は省略して「法」について述べると軍や官吏の指揮命令系統である。これらの切り口から自国と相手国の総合的な国防力を比較して、戦うべきか戦わざるべきかを決めることが一番大切なことだと孫子は教える。
もう一つ中国古代の兵家の箴言を紹介しよう。司馬法という兵書は「国大なりといえども戦を好めば必ず滅ぶ」と述べている。
中国政府の幹部がこの教えも読んでいることに期待したいところだ。