金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

一兵卒対一兵卒

2010年09月15日 | 政治

民主党の小沢前幹事長は一兵卒になるのが好きな人である。幹事長を辞任した時も一兵卒として党を支えると言い、昨日代表選挙で負けた後も一兵卒として党を支えると述べた。FTは小沢氏の「一兵卒」をcommon soldierと訳している。Commonはcommon sense(常識・良識)のcommonだが、ここでは「役職についていない」という意味で使われている。

今回の代表選挙で特徴的だったことは、一般党員やサポーターの得票で菅首相が小沢氏の5倍近いポイントをあげたことだ。この一般党員を英語ではrank and fileという。Rank and fileは兵卒という意味で、Rank and file Democratというと一般民主党員になる。

代表選挙は大方(私を含めて)の予想を上回る菅首相の勝利となったが、その大きな支えはRank and fileの民主党員の力だろう。代表選挙における国会議員の得票は菅氏206、小沢氏200と僅差なのだが、少し前の予想では小沢氏の優勢が伝えられていたので、直前に菅氏への投票を決めた議員が相当数いたということだろう。

このような議員を「洞ヶ峠を決めていて勝ち馬に乗った」と見る人もいるだろうが、私は地元の選挙民の声に従った議員もいると考えている。

そもそも議員にとって「選挙民の声を聞くか?」それとも「自分が良しとする候補に投票するか?」は、今後の日本の民主主義を考える上で重要なポイントではないか?と私は考えている。結論を先にいうと議員は「選挙民の声に従うべし」というのが私の意見だ。

昨年の総選挙で「官僚主導から政治主導」を一つの旗印に掲げ、大勝した民主党は参院選挙では大きく議席を失った。その理由を菅首相が唐突に消費税の引き上げを打出したことに求める人が多いが、私はそれは主因ではなく、民主党が掲げた「政治主導が民意主導ではなく、官僚主導から政治家主導を目指すもの」だということに多くの国民が嫌気をさしたのではないか?と考えている。

政治家はしばしば「責任をもって」とか「政治生命」をかけてという演説を行うが、政治家の責任とは何なのだろうか?

責任には「結果責任」と「説明責任」の二つがある。英語はこの二つをResponsibilityとAccountabilityとして明確に区別する。例えば医者や弁護士は患者・顧客に対して治療方針や訴訟戦略について説明責任Accountabilityを持つが、善管注意義務に違反しない限り結果責任Responsibilityを問われないという具合に使われる。

自民党時代の政治あるいは官僚主導の問題というのは、実はこの説明責任が果たされていなかったことにあったと私は考えている。経済が右肩上がりで、アメリカの防衛ネットワークで保護されていた場合はそれでも問題は顕在化しなかった。いや正確にいうと問題の顕在化を遅らせることに政治は汲々としていたというべきだろう。

私は民主党の政策を必ずしも支持するものではないが、政治主導を掲げたことは正しいと考えている。ただし政治主導とは「国民に対する説明責任である」ことをどれだけの議員が理解しているか?ということは問題だが。

今回の民主党代表選挙について色々な評価があるが、私はボトムラインとしてRank and file党員の投票と国会議員の投票が~大きな差はあるとはいえ~同じ方向を向き、一般党員の意見にそった代表が選ばれた点は評価するべきだと考えている。もしこれが逆であれば、日本の民主主義とは何なのか?ということになっただろう。

小沢氏の一兵卒になるという言葉を額面どおり受け取る人は稀だ。百歩譲って小沢氏が本当にそう思っても回りに担ぐ人がいる限り民主党が一枚岩になるのは難しいだろう。

だが小沢氏を担ぐならもう一度何故彼がこれ程まで人気がなかったかを考えるべきだ。それは政治資金スキャンダル問題を含めてあまりに「説明責任」を果たしていないからだ。

日本が抱える問題は一朝一夕に片付くものではない。しかし不都合な真実に目をつぶることはできない。それ故に政治家は誠意を持って説明責任を果たす義務があるのだ。小沢氏が一兵卒になるというのであれば、まずこのことを知るべきだろう。

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