今週のエコノミスト誌はクリスマス特集。そのトップを飾ったのがThe U-bend of life.
人生で不幸を感じるのは40代だけれど、それを過ぎると幸せになる・・・その理由を分析した話だ。これは世界的な傾向ということだが、数少ない例外が日本。このことは以前ブログに書いた。http://blog.goo.ne.jp/sawanoshijin/d/20100602
世界の人は年とともに幸福度が増えるというのに日本は違うのか?そこに日本人の特徴があるのではないか?と思い、自分なりの仮説を立ててみることにした。
エコノミスト誌によると、幸福度調査はAmerica's general social surveyやユーロバロメーター、ギャロップなどで行なわれている。調査方法は大きく分けて二つ。一つは「人生全体を通じてどのように感じるか?」という切り口の質問。もう一つは「昨日どう感じた?(幸せ・満足・怒り・心配)」という切り口の質問。
調査の結果、幸福度に影響を与える主な要因は「性別・個性・外部環境・年齢」であることが分かった。
女性は僅かだが男性より幸福度が高い。しかし女性の方が鬱病にかかりやすい。5分の1から4分の1の女性は人生のどこかで鬱病の経験を持っている。一方男性では約10分の1が鬱を経験。
性格面を特徴付けるのは「神経症的傾向」と「外向的傾向」だ。神経症的傾向の原語はNeurotricism。これはノイローゼ(ノイローゼはドイツ語のneuroseから来ている)のことのようだ。つまり病気ではなく一つの気質。この気質の人は「罪悪感を感じやすく、怒りっぽく、心配性になる傾向があり、不幸せになりやすい」とエコノミスト誌は説明する。
エコノミスト誌はノイローゼの人は、ネガティブな感情を持ちやすいだけでなく、感情的知性(EQ。こころの知能指数)が低い傾向があると説明する。そして感情的知性が低いと人間関係の構築・管理を悪くし、不幸にするという。
一方外交的傾向は人間関係の構築を容易にし、幸福感を高める。英国人と中国人や日本人を比較した研究では、外交的傾向が強い英国人の方が平均的には幸福感が高いことが分かっている。
日本人に多い神経症は「対人恐怖症」といわれている。一方誰にでもはっきりものをいう英米人は「対人恐怖症」になりにくいという話を聞いたことがある。
外部環境の話は飛ばして、「年齢と幸福の関係」に話を進める。72カ国について行なわれた年齢と幸福度の調査の結果、世界平均では46歳の時一番不幸の度合いが高まる(この研究が日本をカバーしているかどうかは不明。総務省の調査では日本は年齢とともに不幸を感じる人が増える)。
ではどうして年とともに幸福度は増すのか?
エコノミスト誌は高齢者は感情を制御し、不幸を甘受することに優れ、怒ることが少ないからだと説明する。何故かというと高齢者は死の必然性を認識するので、今を良く生きようとするからだとスタンフォード大学のCarstensen教授は解説する。
また「年を取ることを受容することそのものが安堵の源泉になる」「若さを保とうと努力することを止めた時如何に日々は楽しくなるか!」という人もいる。
エコノミスト誌は最後に先進国の高齢化は通常経済に対する負担であり、解決するべき問題と思われている、だけど人生を幸福のU字カーブで見るともっと肯定的な見方ができると結んでいる。
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どうして日本人は年とともに幸福感が増えないのだろうか?
以下は私の仮説。
一つは「対人恐怖症」に代表される「神経症的傾向」だ。自分自身について考えても、ビジネスや趣味の上では抵抗なく見知らぬ人と話ができるが、苦手なのは近所付き合い。ワイフに「あなたなんて退職したら近所にお友達がいなくて困るはよ」と脅かされている。奥さん連中は職業、地位、年齢など気にせずに誰とでも付き合うが、その当りが気になるのはビジネスマンの悲しい性かもしれない。
そう、ビジネスの世界への浸かり度合いが深く、それ以外の社会では「対人恐怖症」になるところに不幸の一つの源泉がありそうだ。
もう一つは「年をとっても頑張らなければいけない」という生真面目さが、良い意味の諦観を遠ざけているのかもしれない。
最後は死生観の問題だろう。エコノミスト誌にはHuman ability to recognise our own mortality「我々自身の死の必然性を認める能力」という言葉が出ていた。何時かは死ぬということから限りある命を大切に生きよう、(何ものかに)生かされている自分を尊いものと思おうという意識が生まれる。
だが多くの日本人は「命の長さ」には関心を払うが「良い生き方」ということへの関心は低下している。従って長生きが幸福感につながらないのかもしれない。
ただしこの仮説が正しいかどうかは、これから私が自分の人生を歩きながら確認するしかないことだが。