金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

喪中はがきが多かった12月~多死社会の到来の予兆

2012年12月14日 | うんちく・小ネタ

今年(2012年)の12月は例年より「喪中はがき」が多かったと感じた。年賀状をやり取りしている相手は同世代の人が多いので、当然といえば当然過ぎる話なのだが。

ここ5~60年ほどで人類の平均寿命は飛躍的に伸びた。戦略国際問題研究所のレポートによると、1950年以降世界の平均寿命は21歳長くなった。これは過去6千年間の間で伸びた平均寿命の長さより長い。

平均寿命の伸びは低出生率とともに高齢化社会を作り出してきた。65歳以上の人口(高齢化率)が7%を超えると高齢化社会と呼び、14%を超えると高齢社会と呼ぶ。日本の65歳以上の人口は2,944万人で高齢化率は23.1%(総務省による平成22年度推定値)だから、正確にいうと「高齢社会」を作り出した、というべきだろう。

しかしいくら寿命が伸びてもやがて人は死ぬ。厚生労働省の人口動態統計によると2005年から日本では死亡数が出生数を上回っている(正確にいうと2006年だけは出生数が8千人ほど上回った)。同省の推計によると2011年の出生者数は106万人で死亡者数は126万人で20万人の人口減であった。

死ぬ人が増える社会を「多死社会」と呼ぶなら、多死社会は2000年代後半に日本に到来し、2010年代に入ってそのペースを早めつつある。では人口減少はどのようなペースで進むのか?少し古い予想だけれど「遅咲きのひと」(日経新聞社 足立則夫著)の中に次のような記述があった。「国の推計では、2006年になると人口減社会に突入する。さらに2038年になると、死者170万人に対し出生者77万人。93万人もの人口が一年間に減ってしまうのだ」

この本が書かれたのは7年ほど前なので、推計値にはブレは出ているだろうが、トレンドには変化はない。むしろ不確かなことが多い将来予想の中で確実に予想できることは人口動態位であるということを示している。

ところで7年ほど前に書かれた本を何故引っ張りだしてきたのか?というとこの本が「長寿社会が到来したのだから社会全体が遅咲き主義への意識転換が望まれる」と薦めていて共感するところがあるからだ。

確かに社会全体が「早咲き主義」から「遅咲き主義」に転換する必要はあるが、人事制度・賃金体系・法律などあらゆる社会的制度は急速な高齢社会化についていけていない。そして恐らく今後強く意識される多死社会にもついていけないだろう。

戦後起きた農村から都市への人口大移動により、三世代同居の伝統的な拡大家族から核家族への変貌が起きた。その核家族は2つの原因により、「核」そのものつまり「個人」に向かって分裂を続けている。原因の一つは非婚化・晩婚化であり、もう一つは配偶者を失い単独世帯となった高齢者が増えることである。日本では多死社会と単独世帯社会が並存することになる。この時地域社会はどうなるのか?社会保障制度は?国の財政は?

これらの変化に国や社会は十分対応できるのか?答はノーだ。そのことは高齢社会への対応が遅れていることで明らかである。多くの問題は個々人で対応するしかない。そしてまたある部分は当然のことというべきかもしれない。

人は結局のところ一人で死ぬものである以上、自分に納得のいく死に方、つまり死のその時に悔いの少ない生き方を自分で作らなければならない。国や社会が多くのことをしてくれると考えるのは甘えだろう。むしろ国や社会あるいは友人家族に何ができるのか?と考える時人生に意味がでるのかもしれない。

昨日「相続問題の解決」に尽力されたN氏のお別れ会が小平であり参列した。N氏は64歳。今年9月に末期の胃がんで逝去した。無念だったと思われるが、亡くなられる少し前にお会いした時に感じたことは、ある種達観をされていたようで、私はそれを「透明感があるな」と感じた。参列した人々のお別れスピーチを聞くと、N氏は悩んでいる多くの人にアドバイスすることで自分の人生の意義を見出していたのだ、という思いを改めて強くした。残された私達に強い感銘を与えた良いお別れ会であった。

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