この12月は事務的な作業が多い。事務局長を引き受けている相続学会が発足して、庶務事項が色々出てくるからだ。たとえば郵便局に振替口座を開設して、振替用紙の印刷を依頼し、その用紙を会員に送付し、会費を振り込んで貰う等々である。
このような用事に合わせて、年賀状を発信する、1年間の山の写真をまとめて恒例のDVDを作るなどパソコンでの作業が増えている。これらをまとめて「事務的な作業」と呼ぼう。
実社会において「事務的な作業」は、営業や開発に較べて、低く判断されることが多い。何故かというとマニュアル踏襲的で反復的で意思決定的でなく、誰にでもこなせると考えられることが多いからだ。
だが私はこのような一般的?な見方に対して異なる見方をもっている。具体的にいうと事務プロセスやコストを考慮しない営業は利益をあげないばかりか、非効率な事務プロセスが競争力を失わせると考えるからだ。事務を少し拡大解釈してLogistics(兵站)と考えるとこのことはかなり明確になる。
非常に古い話だが、項羽と覇を競った劉邦(漢の高祖)は、天下を取った後、第一の功労者を蕭何とした。高祖は軍功第一の韓信や智謀の塊のような軍師張良ではなく、黙々と前線に兵糧を送り続けた宰相蕭何の功績を最大としたのである。
数日前にミッドウェー海戦での日本海軍の敗因分析を行ったテレビ番組を見た。よく言われていることながら、日本海軍の最大の敗因は日本の情報は米海軍に筒抜けながら、米海軍の情報はまったく分からないという極端な情報音痴ぶりにあった。更には「情報よりも作戦を重視する」というなんとも奇妙な理屈。本来は正確な情報の上に作戦が成り立つはずなのだが、日本海軍の場合、情報とは作戦の優位性を説明する材料に過ぎなかったという。
情報収集よりも戦闘行為を重視し、兵站の確保よりも戦線拡大を重視した日本軍はやがて壊滅。
それから4,50年の年月が流れたが、情報収集よりもドブ板営業の重視、効率的な事務体制の構築よりは手作業を積み重ねても目先の経費削減・・・という日本軍と同じ発想を時として企業活動の中にみて慄然としたことがあった。
パソコンを前にして今私は「これはエクセルで済ませておこうか?それともAccessを使ってしっかりしたデータベースを構築しておこうか?」などと考えることがある。
15年前位に経費削減と事務効率化の”解”として、自らAccessのプログラム開発を行ったことなどを思い出しつつ、プログラムを作ろうとしてみた。しかし便利な機能が増えたとはいえ、Accessは相変わらず取っ付きが大変なツールだった。15年間のギャップを思いっきり味わっている今日この頃だ。事務を軽視してはいけないと痛感する次第だ。