金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

Keenのトレッキングブーツの評価は?

2012年12月01日 | 

今回のネパールトレッキングではKeenのブーツを新調していった。

Keen

日頃日本の夏山で履いている登山靴はしっかりしているが底が固くやや重たいので少し柔らかく軽い靴を使うことにした。モンベルの恵比寿店に相談したところ薦められたのが写真のKeenの靴だ。トレッキングに行く前に瑞牆山と奥武蔵で二度履いてみたところ、フィット感が良いのでトレッキングでも使ってみた。

登山靴というと長年「上の部分のメーカーはさて置き、底はVibramに限る」と信じていたが、実際にKeen底の靴を使ってみて、滑るとか足が痛いといった問題は感じなかった。

また今まで使っていた登山靴に較べ履きやすく紐も簡単に締まる。軽登山靴のようなものだから当たり前といえば当たり前の話なのだが。

トレッキング中はティーターム時やランチ時に靴を脱いで足に風を当ててやることが多いので、着脱の手軽さや紐の締めやすさは靴選びのポイントの一つになる。

「なお足が痛いといった問題は感じなかった」と書いたが、正直をいうとトレッキング後から左足親指の付け根(足底側)に若干の違和感を感じている。マッサージやテーピングで違和感は緩和しているので問題はないだろうと思っているが。

どうして左足の親指部分だけに痛みが残ったのか原因は分からない。靴に問題があったとは考えにくいが、底の固い登山靴と履き比べをしながら、自分の理想のトレッキングブーツを探す必要がありそうだ、と感じている。Keenの靴に太鼓判を押すのはそれからだろう。

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人生は川、人生は山~山

2012年12月01日 | うんちく・小ネタ

昨日有楽町の神戸大学六甲クラブでネパール・トレッキングの報告会をやった。報告会の趣旨は「ネパールのトレッキングルートは誰でも歩けます。10日ほどの時間が取れるなら是非行きましょう」というものだった。すでに2,3名の方から「行ってみたい」という前向きな返事を頂いているので、来年のトレッキングは賑やかになるかもしれない。

さて「人生は川、人生は山」の後編、人生は山について

山からあるいは山登りから色々なことを学んだという人は多い。私が尊敬する偉大な登山家ワルテル・ボナティは著書「わが山々へ」の冒頭で次のように書いている。

わが山々へ

そのきびしい道場から

わが青春が学びとった

心のしあわせに対して

限りない感謝をこめて

Changbu

われわれアマチュアの登山家にとって山登りは遊びであった。しかし山での一瞬の油断や判断ミスは致命的な結果を招く。

多くの人は遊びより仕事が大事、という。だが仕事での油断や判断ミスは大事になっても命まで失うことは一般には少ない(世の中には一瞬のミスが命につながる厳しくて重要な仕事も存在するが)。文系サラリーマンの仕事は「失敗しても(例えばミスで大事なお客を失っても)他で埋め合わせができる」ものであり、「連帯無責任的」なものであることが多い。

だが山のミスはほかのことで埋め合わせができない場合が多い。また命を繋ぐザイルには「連帯責任」以外のナニモノもない。

よって私は時々「山登りは遊びだけれど、本気度は仕事より高い」と考えてきた。

比喩的にいうと会社という組織にも攀じ登らなければならない壁があり、世間の中には腰まで冷たい水につかりながら、渡渉しなければならない世渡りがある。

私の親しかった山仲間を見ると、剣や穂高の一級の岩壁を巧みに攀じ登ったアルピニストが必ずしも組織の壁を登り切ったとはいえず、東北の深い谷を跋渉した沢登りの達人が必ずし巧みに世の中を渡っている訳ではない。

だがその山仲間達も仕事という桎梏を離れ、再び存分に山遊びを楽しめる時が近づいてきた。組織の壁以外に登るものがある人生は豊かだ。世間以外渡るものがある人生には疲弊はない。

アンナプルナの初登頂隊のリーダーを務めたモーリス・エルゾークは「人生にはまた別のアンナプルナがある」と言った。

我々もまた自分の別のアンナプルナに向かって歩き始める。人生は生涯、山なのである。

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