金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

局長の事務奮戦記~来年の課題はクラウドの検討

2012年12月26日 | デジタル・インターネット

11月にスタートした相続学会の会員が50名を越えた。だが目標の2合目程度だ。およそ◯◯学会などの一般社団法人が安定運営レベルに達するには、最低3百名程の会員が必要だ、と私は見積もっている。3百名からの年会費が、学会を持続していく上で必要な「通信費」等を支えるのである。

当学会の来年の課題は、コアとなる学会員の増員と「通信費」等の削減であり、後者についてはクラウド・コンピューティングの利用を考えることだ、と私は考えている。

個人ベースでは私は既に結構クラウド・コンピューティングを利用している。たとえば写真はピカサにバックアップを保存しているし、業務や個人のknowledgeはEvernoteに蓄積し、色々な媒体から取り出して活用している。またこのブログもそうだ。作成するブログは「読んで貰う」ものであるとともに、自分のメモにもなっている。

この個人ベースで利用しているクラウド・コンピューティングを学会員レベルで活用できないか?というのが課題である。より具体的にいうと、学会では毎月セミナーを行なっているが、セミナーに出席できなかった人のために、講演のビデオを配信したい、ということが第一にあげられる。

会員数が増えてくると、セミナー出欠もオンラインでリアルタイムに把握したい。相続関連の紛争案件の解決事例もリアルタイムに会員間で共有したい、などと活用方法は沢山ありそうだ。

コンピュータ業界調査機関のIDCによると、最初人々がクラウド・コンピューティングに期待したのは「安い電子メールサービス」だったが、関心は「collaboration(共同作業)」に移り、さらに「スケジュール管理」や「オンライン上のデータ蓄積」に進んでいる。

クラウド・コンピューティングで勢力を伸ばしているのは、グーグルだ。グーグルの年間売上380億ドルの内クラウド・コンピューティングの売上は10億ドル程度(事情通の推測)だが、法人ビジネス部門でこの部門の巨人マイクロソフトを脅かすほど勢いを付けてきた。マイクロソフトはグーグルの脅威を公式には否定しているが、米国政府一般調達局のベンダーとの契約状況を見ると42契約の内グーグルが23,マイクロソフトは10契約とグーグルが優っている(ニューヨーク・タイムズ)。グーグルの武器はサービスの安さとプライシングのシンプルさだ。

私のクラウド検討もグーグルアップスから始めることになるだろう。

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干し柿完成!

2012年12月26日 | うんちく・小ネタ

手作り干し柿がついに完成!

Hosigaki1226

柿の実が萎んでヘタと軸が目立つ。見栄えはイマイチだが食べると美味しかった。

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【読後感】「あしたはアルプスを歩こう」(角田光代)

2012年12月26日 | 本と雑誌

ふと立ち寄ったBook-offで買ったのが、角田光代さんの「あしたはアルプスを歩こう」だった。角田さんの本、特に紀行モノはそこそこ読んでいるが、この本のことはまったく知らなかった。

この本はほとんど山登りの経験がない角田さんがある出版社の企画でドロミテ・アルプスの山々をトレッキング(というか登山)をした経験をまとめたものだ。

初めての山登りだけれど、さすがに一流の作家だけあって角田さんはずばりと登山というものの本質を切り出している。その幾つかを紹介しよう。

この山旅で角田さんを案内してくれたのは、ルイージ・マリオさんという65歳のガイド。マリオさんは日本で仏教を学び、僧侶であり、今も現役のロッククライマーだ。

岩山に向かって歩きながら、角田さんはマリオさんに「山に登ることって、マリオさんにとってどういうことなんですか」と訊く。マリオさんは言葉を探しながら「単純な楽しさだけではないな。・・・山を登っていると、自分ではない大きなものと一体になる感覚がある」と答えた。

やがて一行は頂きに立ち、そこの展望台でワインを開け、昼ごはんの残りとチーズを並べ、つかの間の休憩をとった。その時角田さんは「イタリア人ってなんかすごい。」と思う。そして「イタリア人は雪山でも本格的なエスプレッソコーヒーを淹れるし、渓谷でもワインだ。インスタントですまそうとか、ワインは我慢しようとか、近道的な発想がないのだ。」と続ける。

角田さんは「他国と比較して我が国の欠点をあげつらうことを私は好まないが、けれど、なんでも便利にしようとし、楽をしようとし、近道を好む私たちの国民性を少しだけもったいなく思った。」とちょっぴり日本人を批判する。

その日のトレッキングが終わったのは午後7時。角田さんは「それが都会だろうと山だろうと、私は歩くのが好きだと、今日実感した。歩くだけで、目に見えるものがどんどん変わる。反対に言えば、歩かなければ景色は何も変わらない。滝も、岩も、木々も、山々も、風も、みんなつねにそこにあるが、自分の足で向かわなければ、出会うことはかなわない。」と結んだ。

トレッキングの最終日、マルモダーラ氷河を歩きながら角田さんはマリオさんに「仏教の何がよかったんでしょう」と質問する。マリオさんは言葉を選びながら、静かに説明する。「仏教は禅を組む。そうして、悟りの境地をずっと待つ。それは自分にしかわからない。・・・・・」

巨大がクレバスの闇を見ていた角田さんは突然マリオさんが言っていたことの意味を悟る。「わかったのだ、マリオさんの言っていたことが。自分の目で見ないと信じることができない、というのは、マリオさんの宗教観であるとともに、山に登る理由でもあるんじゃないか。」

やがてマリオさんは次のように語る。「山に登っていると、頭の中が空っぽになる。禅も同じ。禅を組んでいると、自分自身が空っぽになる。それで、自分以外の何か大きなものと一体になるという実感がある。山と禅はよく似てるんです。」

マリオさんの言葉は角田さんの心にすんなりと届いた。角田さんはその理由を「じつは私もおなじようなことを考えていたからだ。人の言葉を使わないこと。人から見聞きしたものを安易に信じないこと。自分の手で触れ、自分の目で見ること。何かを書くとき、私が自分に課している唯一のことだ。」と結んだ。

★   ★   ★

角田さんはマリオさんという優れたガイドと出会うことで登山の本質を掴むことができた。だがマリオさんと出会えばだれでも登山の本質を掴めたかというとそうではない。角田さんの生き方の中に優れたクライマーに通じるストイッシズムがあったから本質を掴むことができたのだ。

禅の言葉で言えば「卒啄同機」である。

角田さんの話をキーワードでまとめてみよう。「自分の手で触れ、自分の目で見ること」「近道的発想を避ける」「自分自身を空っぽにして大きなものと一体になる」

これって実は今世界を席巻しているインターネットによるバーチャルな世界とはまったく逆の世界だ。ウエッブ上でサーフィンしているだけで、どこにでも行った気分になれるが実はそれは錯覚。この体でリアルな時間を歩き、実際に苦労をしないと見えないものは多いのだ。

私はインターネットを否定するものではないし、むしろその積極的な活用を推進しているものだ。だが一方リアルでストイックな体験も重視する。バーチャルな世界が広がる分、リアルな世界も充実させないと人間はバランスを失う、と私は考えている。角田さんの話は私の心に届く。

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